1999年12月にNECと日立製作所のDRAM合弁会社エルピーダメモリ(当時はNEC日立メモリ)ができたときのことである(大変古い話で恐縮ですが)。私は、2000年2月にNEC相模原内のエルピーダ・プロセス開発センターに出向して、同様にNECから出向してきた技術者と一緒にDRAMのプロセス開発を行った。

 そのとき、会社が違うと、仕事のやり方がかくも違うものなのかと驚いた。DRAMのプロセスフローは、500工程以上になるが、その各工程で使用する装置が違うとか、そのプロセスの毛色が違うとか、そういったことではない(もちろん、それも違うのではあるが)。プロセス開発の方針と言うか、哲学がまるで違うのである。

 簡単に言えば(よく言えば)、NECは「均一性第一主義」であり、日立は「新技術優先主義」であった。悪く言えば、NECは「病的なまでの潔癖完璧主義」であり、日立は「新技術オタクの一点突破主義」である。その上、NECはプロセス技術世界一と思っており、日立は微細加工技術で世界一と思っていた。だから合弁した当初は、技術を巡る争いが絶えなかったわけである。

 それにしても、当時、私を含めた日立出身者はNECのその潔癖症ぶりに驚いた。一方、恐らくNEC出身者も日立の新技術オタクぶりに驚いていたことだろう。本稿では、私の体験談をもとにNECと日立の技術文化の違いを紹介し、技術文化が半導体ビジネスにどのような影響を及ぼすのかを見ていきたい。

変えないNECと変えたがる日立

 私はドライエッチンググループの課長としてエルピーダに赴任した。そして、日立とNECの部下を持つことになった。それまで私は約13年間、日立の中で半導体の技術開発を行ってきた。つまり、日立の技術文化が身体に定着しており、それが常識だと思っていたわけだ。そのような私には、NECの部下たちの技術開発のやり方はまったく異質に見えた。

 例えば、64メガビットDRAMの量産移管が終了し、新たに256メガビットDRAMの開発を始めるときに、NECは新構造や新材料をはじめとする新技術は極力導入しない。これまでの工程フローをなるべく変えずに、新しいDRAMがウエハ全面で“均一にできること”をまず第一優先とする。この均一性を優先する有様は、日立出身の私から見ると病的なまでに潔癖症に見えた。

 ところが、日立は、新しい256メガビットDRAMを開発するなら、新材料、新構造、新プロセス、新装置など、何か新しい技術を導入しなければ気が済まない。そして新技術を導入し、ほんの僅かでも使えそうな見通しが得られたら、その一点を突破口として新しいDRAMの試作に突き進む。しかしその有様は、恐らくNECから見れば、呆れ果てた新技術オタクにしか見えなかっただろう。

 高歩留まりのためには「最初に均一性ありき」がNECの考え方である。一方、まず「新技術で一点突破」し、均一性は後回しなのが日立の考え方であった。