米国・ボストンでマラソン大会中に発生したテロ事件はチェチェン系の兄弟タメルラン・ツァルナエフとジョハル・ツァルナエフによる犯行と報じられている。
弟のジョハルは1993年6月生まれで、その名前は当時事実上ロシアから独立していたチェチェン(イチュケリア)共和国のジョハル・ドゥダエフ大統領の名前を想起させる。1994年12月にロシア軍が軍事侵攻を開始してからの悲劇的経緯はよく知られているところである。
もっとも、報道の限りでは兄弟の父親は中央アジアのキルギス(クルグズスタン)出身で、兄弟の母親(北コーカサスのダゲスタン出身、アヴァール人)と出会ったのも、シベリアのノヴォシビルスクという。
タメルランはカスピ海北岸の仏教共和国カルムキアのエリスタで生まれ、ジョハルはキルギスで誕生し成長した。
短期間母親の故郷ダゲスタンに滞在した後、2002年に父母とジョハルが米国に入国し(タメルランは2年後)、難民申請が認められて2007年には永住権も取得している。
タメルランの急進的イスラームへの傾倒や家族の抱えた様々な問題については様々な報道がなされている。ホームグロウンテロリズム(自国育ちのテロリズム)や、アイデンティティクライシスへの言及も多い。
第2次世界大戦中に起こった全民族の中央アジア強制追放の結果生じたチェチェン・ディアスポラの複雑さを垣間見る事件である。ホスト国米国の民族・宗教・アイデンティティの多様さについて異論はないだろう。
もっとも、当然ながらディアスポラの心性やコーカサスの紛争、あるいはアイデンティティクライシス問題と、今回の凄惨な事件を直結させることにも慎重であるべきだろう。
戦争や暴力と結びつけられることが多い文明の交差点・十字路コーカサスであるが、中央アジアも含めた中央ユーラシア圏は「人の移動」について様々なことを考えさせる場所である。今回は筆者の身近な経験から、この問題を少し考えてみたい。
米国を行き来する人たち
2000年代に入り、筆者がグルジアに行くたびに驚いたのは、インターネットの普及であった。スカイプ通話が社会生活でいち早く必要不可欠となったのはもちろん家族の誰かが海外に出ているからである。
筆者はトビリシの下町の一ウバニ(街区)でかつてホームステイしたが、近所の若者の多くは米国東海岸に渡り、グループでビジネスをしていた。帰国するのは嫁をめとるときと子供が生まれるときの里帰りで、一部はトビリシに戻ったが多くは現在も米国にとどまって仕事をしていると思う。