この流れで日本側が「最も解決に近づいた」としているのが、98年4月の橋本龍太郎首相=エリツィン大統領会談で日本側が打診した「川奈提案」だ。以下の内容だったとされている。

・国境線を4島の北に定める。
・4島の施政権を当面、ロシア側に認める――。

 とりあえず帰属だけでも日本側に返還させようというプランで、日本側は「エリツィンも乗り気だった」としているが、ロシア政府側から「ロシアが受け入れ検討」のような確度の高い情報は出ていない。これも結果的には日本側の一人相撲だったわけである。

 筆者はなにも、こうした日本政府外交当局の努力を批判する意図は毛頭ない。極めて難しい課題に知恵を絞り、国益のために尽力されていることは承知している。しかし、相手の意図を評価するのに、希望的観測に頼りすぎているように思えてならない。

「日ソ共同宣言が出発点」をどう受け止めるか

 その後、ロシア側が一歩踏み込んだのが、2001年3月のイルクーツク声明である。同声明にはこうある。

 「1956年の日ソ共同宣言が、両国間の外交関係の回復後の平和条約締結に関する交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認した」

 「その上で、1993年の東京宣言に基づき、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の帰属に関する問題を解決することにより、平和条約を締結し、もって両国間の関係を完全に正常化するため、今後の交渉を促進することで合意した」

 「相互に受け入れ可能な解決に達することを目的として、交渉を活発化させ、平和条約締結に向けた前進の具体的な方向性をあり得べき最も早い時点で決定することで合意した」

 この「日ソ共同宣言が(中略)交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書」という表現が、日本側では「日ソ共同宣言を認めた」→「少なくとも2島返還を約束した」と解釈されている。

 しかし、これも微妙な曖昧表現で、ロシア側からすれば、「日ソ共同宣言を出発点とはするが、それはそれとして時代は変化しており、実際には現時点で相互に受け入れ可能な解決を新たに目指す」と読むこともできる。こうしたいかにも分かりづらい曖昧な表現には、そういう表現にした意図が必ずある。日本側にも「4島一括返還の原則的立場」に対する国内的配慮があったかもしれないが、ロシア側にも「2島返還の言質を取られない」という思惑があったはずだ。こうした文書は「何が明確に書かれていないか」ということに注目すべきだろう。屁理屈に思えるかもしれないが、こうした外交文書には、えてして互いの屁理屈が集約されるものである。

「一寸たりとも渡さない」と語ったメドベージェフ

 日本政府はこれまで一貫して、4島一括返還を要求することを明言している。非常に明確な立場だ。