言うまでもなく、北方4島は第2次世界大戦最終段階で旧ソ連が不法に占領したもので、戦後、日本は一貫して返還を要求している。その返還問題で大きく前進したのが、1956年の日ソ共同宣言で、そこでは「平和条約締結後に2島返還」「その他は継続協議」と合意された。つまり、その時点でソ連側は2島返還で決着を付けたがっていたということは分かる。

 しかし、その後の冷戦の中で、ソ連はその方針を撤回した。それ以降、ソ連政府もロシア政府も、実は一度として2島返還を明言したことはない。

一度だけあった非公式の打診

 ただし、非公式な打診は一度だけあった。1992年3月、ロシア側が日ソ共同宣言に基づく新提案を日本側に打診したのだ。

 これについては、当事者だった当時のゲオルギー・クナーゼ外務次官が2012年12月24日付「北海道新聞」の取材に以下のように証言している。

・コズイレフ外相と渡辺美智雄外相の会談の際、非公式の場でクナーゼ自身が日本側に打診した。

・その内容は以下の通りだった。

(1)歯舞、色丹2島を引き渡す手続きなどに合意。
(2)平和条約を締結。
(3)歯舞、色丹2島を日本へ引き渡す。
(4)その後、日露関係の推移を見て、ふさわしい雰囲気ができれば残る国後、択捉2島について協議する――。

 もっとも、このクナーゼ証言に対しては、当時、駐米大使で外務省のメモを見る機会があったという東郷和彦・元外務省欧亜局長が、2013年1月8日付「産経新聞」で以下のように反論している。

・提案はコズイレフ外相からなされた。
・クナーゼ証言は間違いで、実際にはロシア側の提案は、「先行して歯舞・色丹2島を引渡し、その後、国後・択捉2島を継続協議。交渉がまとまれば平和条約を結ぶ」というものだった――。

 2人の証言は、返還の手順に大きな違いがあるものの、ロシア側が日本に2島先行返還を打診したという点では共通している。筆者の知る限り、これらの証言は、ロシア側が2島返還に具体的に言及したことを裏付ける初のエビデンス情報だ。特に、ロシア側の当時の責任者による証言の意味は重い。

 だが、これはエリツィン大統領の了承を得ていない非公式の打診であり、しかもクナーゼ外務次官のスタンドプレーだった可能性が高い。