前回のコラム、「私はなぜ『がん検診』を受けないのか」には、多くの読者から感想をいただいた。必ずしも、私の考え方に賛同する意見ばかりではなかったけれど、みなさんが「健康」に強い関心を抱いていることがよく分かった。
そこでも書いた通り、私はこれまで一度も「がん検診」を受けたことがない。また、もう12年以上、成人病予防健診を受けていない。それでも48歳になる現在、これといって心身に不調はなく、日々執筆に励み、毎日を楽しく暮らしている。
誤解のないように断わっておけば、私は自分が健康体であることを誇りたいのではない。ましてや、私に倣って成人病予防健診や「がん検診」を受けない方がいいと勧めたいわけでもない。それなら、何のために前回のコラムを書いたのかといえば、「私はこのようにして自分の身体と付き合ってきた」ということを確認しておきたかったからだ。
うまい具合にきっかけができたので、今後数回をかけて、私が「健康」をどのように考えているのかについて、書いていきたいと思う。
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私が最初に自分の肉体を切実に意識したのは、忘れもしない4歳の年末から年始にかけてである。今から四十数年前の、1969年12月29日の晩、私は父と一緒に風呂に入った。
「ハル、おちんちんがへんだぞ」
その時の父の声はよく覚えている。ただし、私の陰部がどのように「へん」だったのかは、映像として記憶されていない。翌日、病院で「脱腸」と診断されたのだから、おそらく陰嚢がかなり膨れていたのだろう。幸いなことに痛みはなかった。4歳の子どもには「脱腸」がいかなる症状なのか分かるはずもなく、私は泣きもしなかった。
年明けの4日に手術をすることになり、私は安静を余儀なくされた。また、腸内を空にしておく必要から食事を制限された。しかも、1月1日の夜以降は絶食するようにとのことだった。おせち料理もお雑煮も食べられず、ひどく切なかったのを覚えている。
2月が来れば5歳になるところで、母から一通りの説明は受けていた。それによると、私は腹部を覆っている膜に穴が開いており、そこから腸が「おちんちん」の方にはみ出してしまっている。その穴を塞ぐために手術をしなくてはならない。全身麻酔をするので、寝ている間に手術は終わってしまうとのことだった。
手術の日、私は母に連れられて茅ヶ崎海岸のそばにある病院に行った。2人の妹たちは父がみていたのだろう。おそらく土曜日の午後か、日曜日だったのではないかと思う。人けのない待合室を素通りして、母と私は診察室よりさらに奥へと案内された。