先日久し振りで霞ヶ関の外務省に行ってきた。日本・シンガポール関係のシンポジウムに参加するためだ。なぜ筆者が呼ばれたかは今も不明だ。「私なんか招待して、きっと後悔しますよ」と前置きし、言いたいことだけ言って帰ってきた。もう二度と呼ばれることはないだろう。(文中敬称略)

チャタムハウス・ルール

シンガポール

 通常この種のシンポジウムでは議論の詳細を明らかにしないのがルールだ。「会議で得られた情報は利用できるが、その情報の発言者等の身元・所属は明らかにしない」という約束事を我々の業界では「チャタムハウス・ルール」と呼ぶ。

 同ルールの最大のメリットは、参加者が所属組織の意向や政治的影響を心配しなくて済むことだ。

 内容的に微妙な話題や立場上率直に話しにくい議題であっても、より自由闊達に議論し、情報を共有することが可能となる。このルールが重宝される最大の理由はこれだ。

 チャタムハウスとは英国の王立国際問題研究所のこと。同ルールが最初に作られたのは1927年だそうだ。しかし、考えてみれば、まだ100年も経っていない比較的新しいルールではある。勝手なことばかり喋る筆者もこのルールのお陰で生き延びているのかもしれない。

 ちなみに、筆者はこれまでチャタムハウス・ルールによる国際会議に何度も出席してきたが、このルールにもかかわらず常に公式論から外れないのが「大陸の中国人」だ。筆者の経験則では、この種の会議で本音を喋ることができる中国人は10人に1人もいないと思う。

シンガポールの全方位外交

 というわけで、筆者以外の出席者とその発言は詳しく書けない。そこで今回は、筆者の論点とシンガポール側の最大公約数的発言のみをご紹介しようと思う。筆者の発言は大体こんな感じだった。

筆者

●東アジア地域で海洋の安全保障に最も依存している国家はシンガポールである。
●同国は戦略的縦深が浅いため、海洋における不安定に対し極めて脆弱である。
●シンガポールは戦略的要衝にあるサービス産業国家であるが、万一海洋のパワーバランスがシフトしたり、付近の海域で混乱が続けば、国家としての存続自体が危うくなる。

●同国が直面する国内的挑戦は、指導層の世代交代と大衆民主主義の進展である。
●国外からの挑戦はイスラム過激主義と南シナ海における中国の影響力拡大である。
●シンガポールは対日協力を一層深め、南シナ海での海洋ルール作りに邁進すべきだ。

 要するに、シンガポールは対中関係でもっと日本寄りとなるべし、ということに尽きる。これに対するシンガポール側の反応は実に興味深いものだったが、ここではルールに従い、彼らの基本的な立ち位置についてのみ、筆者の感じたままを記すことにする。

シンガポールの最大公約数的立場

●日本にとってシンガポールは東南アジア諸国連合(ASEAN)への架け橋であり、両国は一層協力すべきである。
●ASEANは東アジア地域の領土問題について中立的立場を維持する。
●ただし、そうした中立性がASEANと日本との協力関係に悪影響を及ぼすことはない。

 要するに、シンガポールの安全保障は日米中を含むすべての関係国と良好な関係を維持することによってのみ維持されるのであって、特定の国家や勢力に立場に同意したり、加担することは極力避けるということなのだろう。

 よく言えば、東南アジア版の「全方位外交」。決して敵を作らず、どの国とも決定的な対立関係には入らないということだ。逆に言えば、シンガポール側の本音が必ずしも明確ではないため、確固とした信頼関係を築くことが難しいということでもある。

 チャタムハウス・ルールなのに、結局今回はシンガポールの本音を聞けなかった。これでは大陸中国人と変わらないではないか。そこで思い付いたのが、シンガポールの国父リー・クアンユー(以下、LKY)の中国観だ。彼は過去50年間、常に本音を語ってきたからだ。

 LKYは今年90歳。シンガポールの初代首相として30年余り、その後同国の上級相として足かけ15年、内閣顧問として約7年間、シンガポール政府のトップとして君臨し続けた。東洋の「キッシンジャー」とも呼ばれた東南アジアの長老政治家・戦略家である。

 ネットで調べたら、最近の中国に関する彼の見識がいくつか報じられているので、ここでその一部をご紹介しよう。ちなみに、最近LKYとのインタビュー本が英語で出版されている。ざっと目を通したが、実に面白かった。時間と体力と語学力のある方は是非ともお試しあれ。