菅直人首相は6月11日の所信表明演説で、彼の政権は「第三の道」を目指すと宣言した。以下は、その演説のくだりである。

 <「第一の道」とは、「公共事業中心」の経済政策です。60年代から70年代にかけての高度経済成長の時代には、道路、港湾、空港などの整備が生産性の向上をもたらし、経済成長の原動力となりました。(中略)その後の10年間は、行き過ぎた市場原理主義に基づき、供給サイドに偏った、生産性重視の経済政策が進められてきました。これが「第二の道」です。

 こうした過去の失敗に学び、現在の状況に適した政策として、私たちが追求するのは「第三の道」です。これは、経済社会が抱える課題の解決を新たな需要や雇用創出のきっかけとし、それを成長につなげようとする政策です。>

日本には「第一の道」も「第二の道」もなかった

 「第三の道」というのは、英国の労働党がサッチャー以来の保守党政権に対抗して打ち出した路線である。「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家路線を「第一の道」、その行き詰まりを打開したサッチャー政権の市場重視の路線を「第二の道」と呼び、所得再分配や教育改革などを打ち出したものだ。基本的にはサッチャー路線を継承しており、ブレア首相はそれまでの極左的な路線を修正して政権を獲得した。

 ところが菅首相の「第三の道」の中身は、これとはまったく違う。まず、第一の道が「公共事業中心」だったというのは、日本では事実に反する。

 日本の公共投資はGDP比では80年代まで先進国で最低レベルであり、むしろ社会資本の貧しさが問題だった。失業率が低く、高齢人口が少なかったため社会保障費も低かった。第一の道(福祉国家)は、日本に元々存在しなかったのである。

 第二の道として首相の指弾する「行き過ぎた市場原理主義」とは、小泉政権のことだろうが、郵政民営化の核である財政投融資の改革は、90年代に行われた資金運用部の廃止で実質的に終わっていた。

 道路公団の民営化も、道路建設計画を温存したままに終わった。国債の発行は減額されたが、財政支出は減らなかった。サッチャーやレーガンのような徹底的な改革を行う前に小泉氏が退陣したため、改革は中途半端に終わってしまったのだ。

 日本には第一の道も第二の道もなかったのだから、菅氏の言う「第三の道」は前提が誤っている。今の日本は、社会保障も市場原理も機能していない。言ってみれば、第一の道以前の「けもの道」である。