経営力がまぶしい日本の市町村50選(8)
長野県の最も小さな町が今元気である。小布施町。人口1万1500人程度のこの町には年間120万人もの観光客が訪れる。芸術文化、寺社、のどかな田園風景、この町には訪問客をほっとさせる温かい魅力が詰まっている。
だからといって分不相応に背伸びをして観光客を増やそうという思惑は全く感じられず、あくまでも自然体な人間中心の町づくりを徹底している。
住空間や町空間にデザインを組み込み、住民・観光客が田舎の豊かさを満喫できるような配慮が随所に施されているのである。
過疎化を食い止め、人口増に転じるきっかけとなった浮世絵師の遺産
しかしそんな小布施町も、人口が1万人を割る過疎化の進む町だった。
かつては町内番付の20位以内の18人がリンゴ農家というほどの信州一のリンゴのメッカだったが、リンゴの輸入自由化により価格が暴落し、また高度経済成長に伴い都市部へ人口が流出するなど、人口は減少の一途をたどっていた。
そんななか、過疎化を防ぐために設立された小布施町開発公社が長野市のベッドタウンとして宅地造成を進め、住環境を整備するとともに北斎館を建設すると、これがマスコミの話題になった。
晩年、葛飾北斎は農村や田園に惹かれ小布施町に4年間も住んでいたため、農村にも溶け込み、町内に作品がたくさん残っていた。
ちょうどその頃ロシアをはじめとする海外で北斎が注目を集め始めると、記念館を作るなら寄贈してもいいという町民の協力もあり、芸術文化に関心ある民間人が作品を収集し記念館設立へつながるわけである。
この北斎館を中心に据えた町づくりが功を奏し、小布施町は大きな変貌を遂げることとなる。
身の回りにある歴史的資産を活用した町づくり、「修景」
こうして北斎館が全国的に話題となり観光客が増え始めるわけだが、そこだけでは1つの点に過ぎない。
そこで、画家、書家、思想家、文人として江戸末期一級の文化人であった高井鴻山の庭を活用した記念館を建設すると、北斎館と結ぶ「栗の小径」を1985年に完成させ、点と点を線にした。
名称の由来は、栗の名産地であることと(寒暖の差が激しく土が酸性なので、栗の栽培などに適している)、車社会で人が道から遠ざけられたのを回復したいという思いからである。