前回に引き続き、体罰の話を続けます。ネットにあふれる多くの方の意見を眺めていると、体罰否定派が多数を占める中で容認派の人も少なからずいるようです。

 ただし現実には、体罰容認派といえども桜宮高校のような体罰は否定される方も多いでしょうし、否定派の方の中にも、いかなる場合にも体罰はだめだと考えておられる人ばかりでもないでしょう。そうなると「体罰は適切に運用すべし」という意見が多数派になりそうなものですが、そうした意見は目立たないようです。

残酷だった征服者になぜ住民は協力したのか

 <ある国を奪い取る時、征服者はとうぜんやるべき加害行為を決然としてやることで、しかもそのすべてを一気呵成におこない、日々それを蒸し返さないことだ。>
(『君主論』、マキアヴェリ著、池田廉訳、中公文庫)

 

 マキァヴェッリの生きた16世紀イタリアには多くの僭主(せんしゅ)がいました。たいていは何かのチャンスに乗じてのし上がり、支配者の地位を得るのですが、長続きしません。

 しかし、中には長続きする人もいました。その例としてマキァヴェッリは古代ギリシャ時代にシラクーザの王となったアガトクレスと、マキァヴェッリの同時代の人物であるフェルモの僭主オリヴェロットを挙げます。

 いずれも一平民の立場から実力でのし上がって僭主となった人ですが、どちらも非道な方法で僭主の地位を得ました。アガトクレスもオリヴェロットも元老院議員や街の有力者たちを騙して集め、全員を虐殺して支配者となったのです。

 特にオリヴェロットは、ひどいものがあります。幼少期に父を亡くし、育ての親を騙して有力者を集めさせて、一緒に殺したのですから、ちょっとこれ以上は考えられない外道ぶりです。

 これほどびどいことをすると、住民の恨みを買って、住民は他国が攻めてきたらもろ手を上げて歓迎し、すぐに国を追われそうです。しかし、あにはからんや彼らは簡単に国を奪われませんでした。強敵がやって来ても住民が協力して立ち向かったため、十分に持ちこたえることができたのです。