前回に続いて、アメリカ・ペンシルベニア州のスリーマイル島原発(TMI)周辺での現地取材の結果を報告する。33年前の1979年3月にメルトダウン事故を起こした原発である。今回は「TMI事故で放出された放射線量はどれぐらいか」「健康被害調査の結果は」「被害を巡る訴訟はどうなったのか」などについて書く。今後、福島第一原発事故の処理を巡る20~30年の過程で、必ず社会問題化する論点である。

 前回書いたように、取材してみるとそのどれもが、福島第一原発事故の33年後を知らせる「予知夢」のような内容だった。健康被害を巡る調査は、その中立性や客観性、有効性を巡って激しい社会的論争が起こり、決着がつかない。住民は何が真実なのかが分からなくなる。訴訟は長期化し、最後は法廷外の和解になる。

 原発事故と健康被害の因果関係の立証は極めて難しい。判決で勝った住民は少数である。明瞭・明確な結果や結論が、見つからないのだ。取材すると「フクシマの33年後はこうなる」と言われているようで、私は憂鬱な気分になった。

周辺住民の被曝の実態

 スリーマイル島原発事故後の放射線の影響では様々な調査が行われた。調査の内容は多岐にわたる。住民の身体だけでなく、野生動物や家畜への影響調査も多数ある。調査主体も様々だ。政府機関、大学のほか独立の公的グループのほか、市民が1軒1軒家を訪ねて健康被害を聞き取る調査も複数行われた。結論は「健康被害はまったくない」から「多数ある」まで180度違う。

 スリーマイル島原発事故で住民が被曝した放射性物質の種類、量は主にキセノン133とクリプトン85が多い。そのほかヨウ素131が30キュリー(1.11×10の12乗ベクレル)、ヨウ素133が4キュリー(1.48×10の11乗ベクレル)。どれも気体として原子炉から外部に漏れ出た。(Eisenbud, Merril. 1989. "Exposure of the General Public near Three Mile Island." Nuclear Technology 87 (2): 514-19)

 希ガスの量で比較すると「TMI:福島第一原発事故」=「1:10」の規模であることは前回書いたとおりである。

 最も早く調査結果を出したのは原子力規制委員会(NRC)、厚生省(Department of Health, Education and Welfare)、環境保護庁(EPA)などから選ばれたメンバーが組織した“Ad Hoc Population Dose Assessment Group”(AHPDAG)の調査である(1979年5月)。これによると、半径50マイル(80キロ)に住む人の被曝総量は3300人・レム(前回述べた事故後の廃炉・除染の過程で 放出された格納容器内部の希ガスを除く)。

 一方エネルギー省(DoE)は2000人・レムという数字を出している。この高い方3300人レムを1人あたりに単純に人口で割り算すると1.5ミリレム=0.015ミリシーベルト=15マイクロシーベルトになる。AHPDAGは「原発敷地の境界に事故当日の3月28日から4月7日まで10日間立っていたと仮定しても100ミリレム(=1ミリシーベルト)を超えない」と結論を出した。

 1983年には、半径5マイル(8キロ)以内に住む住民の全身被曝総量(Whole Body Does)調査の結果が公表された。個人の平均被曝量は9ミリレム(=0.09ミリシーベルト=90マイクロシーベルト)。最大の被曝量は25ミリレム(=0.25ミリシーベルト=250マイクロシーベルト)だった。ちなみにハリスバーグ市の自然放射線量は年間116ミリレム(=1.16ミリシーベルト)である(Gur, et al. 1983"Radiation Dose Assignment to Individuals Residing near the Three Mile Island Nuclear Station")。