瀬戸内海西方、広島県と愛媛県との間に、多数の島々が散らばる地域がある。これが、「芸予諸島」だ。
芸予諸島周辺の海域は、古くから海運が盛んで、生口島(いくちじま)の瀬戸田などは、重要な港町として栄えた。日本近代化以降は、その地形を生かして造船業が発達したほか、温暖小雨な気候から、柑橘類の栽培が盛んになっている。
今回は、芸予諸島と本土、島と島どうしを結ぶ航路に焦点を当てたい。
しまなみ海道の開通が変えた瀬戸内海の交通
2012年5月、1本の航路が、芸予諸島から姿を消した。尾道と弓削島(愛媛県)の間を因島(いんのしま)を経由して結んでいた航路である。瀬戸内クルージング(岡山県笠岡市)が、2001年から運行を開始した航路で、「しまなみ海道」(正式名称は「西瀬戸自動車道」)開通以後の芸予諸島海域としては珍しい航路新設として注目された。
地図を見ていただければ分かるが、同航路が寄港する生名島(いきなじま)と弓削島は、航路が開通する前は尾道から陸路で目指そうとすると因島の土生港(はぶこう)で船に乗り換える必要があった。そのため、直通の航路の優位性も存在していた。しかし、もともと、多くない人口と燃料価格高騰の下で経営は厳しく、特に2011年2月に生名橋が開通したことで、利用客が、より利便性の高い土生・立石航路の利用に移行。このことが大きな打撃となった。
こうした状況を反映して、一度は、航路の短縮を実施したが、この航路に生活を委ねている島民の強い要望もあり、運賃を値上げした上で航路を再開する運びとなった。しかし、そうした経緯を経たにもかかわらず、2012年5月、事業者から航路廃止が発表され、この航路は幕を閉じることとなった。航路廃止の発表後、地域住民の署名運動なども実施された。
芸予諸島の人々は、古くから島外への足を船に頼ってきた。しかし、1979年~99年にかけて、しまなみ海道の架橋が完成するに従い、主な島どうしと本州・四国とを結ぶ交通手段は航路から道路に替わることになる。橋に並行する航路や、本州と四国を結ぶ「芸予航路」はほとんどが廃止され、航路事業者の中には陸上のバス事業に転換したものもあった。