刑法の團藤重光先生のお家が、大学での私の研究室の目と鼻の距離と分かり、日常的に行き来させて頂くようになった2007年頃、日本の司法制度には大きな変化がありました。「裁判員制度」の導入です。
40歳前後まで全く法律には無縁だった私ですが、先生に教えて頂いて「裁判員制度」というものの持つプラスとマイナスの可能性など、自分なりに理解できるようになった気がしました。
何より、私のようなド素人でも、もし選ばれれば裁判員として人を裁かなければなりません。ということで、そういう趣旨の本があってもいいだろう、と洋泉社新書から『ニッポンの岐路 裁判員制度』という本を出したりもしました。
今回は、裁判員制度の中身そのもの、というよりは、その周辺で伺った團藤先生のお言葉など、お話しできればと思います。
妥協の産物?
21世紀初年、日本の司法制度改革はいろいろな要素があると思います。例えば法科大学院の創始と司法試験の変革、これだけ取ってみても、なかなか大変な仕事です。
が、広く社会に名を知られ、また知られながらもあまり理解されず、十分な受容以前にスタートした感が否めないのが刑事司法における「裁判員制度」導入だと思います。
この新制度、詳しくは次回お話できればと思いますが、一種の妥協の産物として生まれたものだと思っています。だれもこういう制度を作ろうと考えていたわけではなかった。複数の思惑があり、その間を取っていったら結果的にこんな制度になっていた。
この「裁判員制度」、戦後日本で長年積み重ねられてきた「精密司法」と呼ばれる刑事司法のシステムに、良く言えば大きく風穴を開ける、悪く言えば「精密さ」を大きく減じる改革として導入されたものと言うことができるでしょう。
なぜと言って、それまではプロフェッショナルの裁判官が精密に精密を期して進めてきた審理や判決に、全く法律の教育を受けたことのない一般国民が「主権者」として参加、その多数決をもって量刑を含む判決の具体的内容まで変化させてしまうわけです。
「精密さ」が大きく損なわれてしまうことは間違いありません。
そしてこの、世界に冠たる戦後日本の刑事訴訟における「精密司法」を作り出した産みの親が、團藤先生その人にほかならなかったのです。
素人の多数決で死刑が下せるか?
精密司法の産みの親、という意味で、團藤先生はこの「司法制度改革」に大変に批判的なご意見をお持ちでした。
「どうせX君とかY君あたりが法務省に焚きつけられて、聞こえの良いこんな名前だけつけているけれど、本質が希薄なけしからん制度だと思うね」
ここで言う「X君、Y君」は、日本を代表する70代、80代の大法律家なのですが、團藤先生にかかると、学生時代からの指導教官ですので、君づけになってしまいます。