福島第一原発の事故発生直後、発電所にいた2人の東電社員が行方不明になりました。直後に彼らは逃げたというデマが振りまかれます。逃げた2人がどこかの居酒屋で話しているのを、誰かが聞いていたというのですが、根拠ゼロの妄言でした。

 彼らは後日原子炉建屋で倒れているのが見つかり、死亡が確認されました。2人は事故直後、調査に向かった先で斃(たお)れた以外に考えられません。

 このデマを広げたインターネットサイトやジャーナリストは特定されています。当然彼らは批判されていますが、筆者が調べたところ、彼らが謝罪した様子はありません。

ローマの英雄への中傷を咎められ死刑判決を受けたもう1人の英雄

 マキァヴェッリが国家の模範としていた共和制ローマでは、彼らは即刻逮捕されていたことでしょう。

 <中傷を取り払う何よりの方法は、告発できる余地を十分に開いておくことだ。というのは、中傷が国家を毒するのと同じくらい、告発は国家を利するところ大だからである。>
(『ディスコルシ 「ローマ史」論』、ニッコロ・マキァヴェッリ著、永井三明訳、ちくま学芸文庫)

 

 ガリア人の侵略からローマを救ったマルクス・フリウス・カミルスはローマの英雄となりましたが、これを快く思わない人もいました。マンリウス・カピトリヌスです。

 彼もまたガリア人かローマに侵攻してきたとき、ユピテル神(ローマの守護神)を奉っているカンピドリオの丘を守った英雄として知られていました。ただし、カミルスほどの栄誉は得られなかった人物です。

 自分もカミルスに負けないくらいローマ防衛に貢献しているのに、同じように栄誉を得られない。カミルスに嫉妬したカピトリヌスは、カミルスを中傷し、評判を貶めることで自分に栄誉をもたらそうと画策します。

 彼は、ガリア人との和解のために集められた金品が「一部市民に横流しされた」と噂をばらまきました。このカネが取り戻されたら平民に課せられた税金は安くなるなどと言って、平民の支持を取り付けようとしました。そして平民も、カピトリヌスのまいたエサに惹かれて騒ぎだしたのです。