ある友人から聞いた伝説的な話がある。中国とロシアの間の個人による貿易の始まりは、中国・青島付近で取れた未加工の真珠をバッグいっぱい買い込んだ中国人留学生が、それを加工してモスクワで売ったことだという。
糸でつなぐだけで原価の50~100倍になったオイシイ商売
今でこそ韓国などの商社も入り、日本へも輸出されている青島産の真珠だが、ペレストロイカの時期にはあまり注目されていなかったらしい。密輸し、糸で繋いで「商品」にするだけで買ってきた値段の50倍や100倍になったという話である。
現在、ロシア・モンゴルと中国の間の貿易は非常に盛んである。
2008年度、ロシア・中国の貿易高は総額500億ドルに上ったという。また、モンゴルの2009年貿易総額に占める中国の割合は47.8%で総額の約半分に達しており、ロシアとの貿易額は全体の19.2%なので、中国との貿易の半分以下ということになる。
これはここ20年間で起こった変化である。それ以前は物流の流れはほとんどないに等しかった。とはいえ、現在のこの貿易という大河の流れは、やはり一滴の水から始まっている。
1990年代初め、一攫千金を夢見て中国へ向かい、個人で物資を担いで帰ってくる人は後を絶たなかった。モンゴルやシベリアで友人や友人との話題に上る知人が、中国とは言わず「南に行ってくる」と言うだけで、どこへ何をしに行くのか分かったくらいである。
医者の身分を投げうって行商人になった人々
1993年、1994年、仕事で日本に招待されたモンゴル人のパスポートを預かったことがあるが、教員や役人たちのパスポートにも中国国境で押されたスタンプが多く見られた。
担ぎ屋商売の成功談、失敗談は数多くある。大成功した者の中には、後に大企業を築き、今に至る人々もいる。
1990年初め頃、25~35歳だった人々は、担ぎ屋として外に出向き、成功すればそれまでやっていた仕事をすっぱりやめて商売に専念した。中には医者であった人々もいた。
社会主義体制では医者が儲からなかったからである。また失敗し、負債や人間関係の悪化で逃亡して、消息がつかめなくなった人もあった。
生活の苦しさから転職していく人が相次ぎ、私のいたウランバートルやイルクーツク、ウランウデでは、今45歳から55歳ぐらいの世代が様々な研究分野からすっぽり抜け落ちてしまっているように見えた。