2012年4月16日、ほぼ1年ぶりに封鎖が解除された福島県南相馬市小高区からの報告を続ける。

 前回書いたように、同地区は海岸から約3キロの内陸部まで津波で破壊されていた。内陸3キロのラインは、ちょうどJR常磐線の線路と重なる。小高駅の線路ぎりぎりまで津波が来た泥の跡が残っている。この一帯からは、本来、海は見えない。海岸部であるということすら意識しない。

 なのに、よく見ると、くしゃくしゃになった自動車やガードレールの残骸が、津波で運ばれたままにちらばっている。国道沿いのタイヤ店やパチンコ店が骸骨のようになっている。なぜこんなところに? と不思議に思う。

 すでに泥は乾き、雑草が生い茂っているから、破壊の跡が見えない。一見水田のように見えてしまう。が、よく見るとそれは雑草の草原なのだ。

 前回は、まず小高駅の高架道路に上がってみて、JR線路の西側(阿武隈山地側)にある商店街を訪ねたときのことを書いた。商店街は地震で倒壊した建物や、商品が散乱したままの商店が、1年間封鎖されてそのまま凍り付いたように残っていた。今回は、その反対側、線路から東の太平洋側に向かうことにした。

 歩みを進めると、街全体の時計が止まったままなのがもっと明らかになる。