私は2012年2月まで、北海道納沙布岬にあるNPO法人「望郷の塔」の理事長をしていた。望郷の塔は、かつては「笹川記念平和の塔」という名称であった。この塔は高さ約90メートルで歯舞諸島を眼下に見渡せる。

 「望郷の塔」と名付けたのは、この塔が北方領土問題の啓発や返還にいささかの役割でも果たせるなら幸いだと考えたからだ。ところが、理事長に就任してから、7年余前に患った膀胱がんが再発し、今年に入って入院手術、術後治療と続いているため、理事長を退くことにした。

 理事長当時の2011年10月、根室市を訪れ市長や市議会議長、千島歯舞諸島居住者連盟の方々と懇談した。その際、「来年のロシア大統領選挙でプーチンが大統領に返り咲けば、北方領土返還の新たな局面が生まれると思う。野田政権に本気で取り組んでもらいたい」という趣旨の発言をしたが、それは関係者の共通の認識であったと思う。

 そして2012年3月4日に行われたロシア大統領選挙で、大方の予想通りプーチンが大統領に返り咲いた。

自分から北方領土問題に触れたプーチン

 大統領選挙直前の3月1日(日本時間2日未明)、プーチンが日本やヨーロッパの主要紙編集トップと会見した。ここでのプーチンと朝日新聞の若宮啓文主筆とのやり取りは、実に重要なものであった。

 若宮氏が、プーチンが2月27日に発表した外交論文で中国には何度も言及しているにもかかわらず日本には触れていないことを指摘し、「日本のことは忘れてしまったのか」と質問したのに対し、プーチンは次のように回答したのである。

 「日本のことを忘れられるわけがない。人生を通じ、意識的に柔道に取り組んできた。私の家には嘉納治五郎の像があり、毎日見ている。あなたは礼儀正しく振る舞った。領土問題の質問から始めなかった。もし私の方からこの問題に言及しなければ、私の方が失礼にあたるだろう。我々は日本との領土問題を最終的に解決したいと強く思っている」

 このあと、若宮氏の「日本は1956年の日ソ共同宣言(注)に書かれた2島だけでは不十分だと繰り返してきた。大統領に復帰したら、大胆な一歩を踏み出せるか」との質問に、プーチンは、「柔道家には大胆な一歩が必要だが、勝つためではなく、負けないためだ。我々は、勝利を手にしなければならないわけではない。必要なのは受け入れ可能な妥協だ。いわば『(日本語で)引き分け』のようなものだ」と回答。

(注)1956年の日ソ共同宣言・・・日ソ平和条約が締結された後にソ連が歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すことが合意された。だが、日ソ平和条約はいまだに締結されていない。