4月10日は二重の意味でショックを受けた。1つは2月以来噂されていた薄熙来・元重慶市党書記の「政治的死」。ショックというより、「やっぱり」という感覚だろうか。
もう1つは本当のショック、深く尊敬する友人であり、中国問題の「老師」でもあった清水美和・中日新聞論説主幹の早過ぎる逝去である。(文中敬称略)
中国問題の老師
清水美和氏は2000年から2004年まで北京における筆者の仕事仲間だった。仲間といっても、相手は中国語のプロ、確か3度目の中国勤務で中日新聞の総局長だった。
一方こちらは、学生時代に台湾短期留学こそあれ、しょせん大陸中国は初めてのアラビア語外務公務員。これでは初めから勝負にならない。
唯一彼との共通点は1953年生まれの同い年であること、それ以外は常に筆者が清水氏のご高説を拝聴してばかりいた。
彼の説得力ある中国観は、「外務省であれ、学者、ジャーナリストであれ、中国語の専門家は皆大陸中国に優し過ぎる」という筆者の先入観を根底から打ち壊してくれた。
今思い返しても、清水総局長の中国社会への「食い込み」は尋常ではなかった。特に、筆者が敬服するのは中国人に対する彼の深い洞察力だ。
1世代上の「日中友好万能」学者、ジャーナリストとは一味も、二味も違う、客観的批判精神に富んだ清水流中国論はいつも筆者の分析の参考になっている。
薄熙来は危険な存在?
その清水論説主幹に最後にお会いしたのは3月15日。当時、彼はしきりに「薄熙来一族の腐敗は昔から有名、遼寧省政府関係者も薄熙来一族の悪行を吐き捨てるように批判していた」「共産党内で薄熙来は非常に危険な存在になっていた」と懐述していた。
一体それはいかなる意味だったのだろう。