企業の買収や売却には数字や法律、会計などの要素がつきものだ。だがM&Aほど人的要素が重要となる行為はビジネスの世界でも数少ないだろう。海外で買収を行う際に日本企業が陥りがちな罠のほとんどは、M&Aに伴う人的要素に対する理解不足から生じることが多い。
M&Aの人的側面が重要だとすると、文化や組織といった問題も買収に劇的なインパクトを与えることになる。こういった点を考慮すれば、クロスボーダーM&Aの実行に際して日本企業が直面するチャレンジはきわめて大きいものだといえるだろう。なぜなら、日本の企業文化はクロスボーダーM&Aを行うに際して、メリットというよりは足かせになるからだ。
長期的に考えれば、日本企業が持つ文化的資質はプラス要素となる可能性もある。大陽日酸の松枝氏は「雇用安定や、トレーニングをつうじて長期的視野で従業員の教育を重視する(日本企業の)傾向、つまり人間に重きを置く企業文化は、特にアジアで強みとなる」と指摘している。
だが一方でこういった日本企業の傾向は、短期的に見ればマイナス要素になりかねない。経営チームが(痛みを伴うが)重要な決定を下すことをできない場合は特にそうだ。
松枝氏によると「日本の経営者は、ターゲット企業の一部が親会社の戦略にフィットしない場合にも、組織再編のための思い切った決断をためらう傾向がある」という。日立製作所が行ったIBMの買収は、その典型的な例といえるかもしれない。
しかしM&Aで成功を収めてきた日本企業は、長い間試行錯誤と学習を繰り返しながら自らの能力を磨いてきたようだ。
資生堂やJTの例が示すように、従来のやり方を変えるためにはトップマネジメントの強力なリーダーシップがきわめて重要になる。また、これら2社の例は“習うより慣れろ”という古い格言の有効性を実証している。本報告書の聞き取り調査対象者の多くも、苦労しながら成功の鍵を学んできたことを認めている。
経営者が海外での買収に失敗すれば、企業や株主は今後もそのあおりを受け続けるだろう。しかし大きな視点で見れば、日本企業が今後クロスボーダーM&Aから得るリターンを向上させることは国全体にとっても重要だ。
国際貿易収支の不均衡という問題を抱え、2011年には過去約30年で初めて貿易赤字を記録した日本経済にとって、海外資産からの投資収益に支えられた健全な貿易黒字を実現することは生命線となる可能性がある。