お互いを愛し、夫婦になると誓いながらも、入籍はしない。
24歳になったばかりの私と27歳の妻は、その旨を双方の両親に伝えた。
正確な日付は覚えていないが、私が札幌を引き揚げて浦和市栄和のアパートに移った後なので、1989年3月半ばのことである。
蛇足で付け加えておけば、我々は3月初めに北海道大学クラーク会館で友人たちに「結婚を祝う会」を開いてもらっており、恵迪寮の寮生を中心に120名ほどが参加して盛大なパーティーが催された。
また、3月末には都内のホテルで、両家の親戚を招いて「感謝の会」を行うことになっていた。
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私の両親には、私が電話で、夫婦別姓にしようと思っていると伝えた。
「向こうのご両親にも伝えたの?」
「まだ。今度2人で志木に行った時に言うよ。でも、そのことについては家族で前から話してたみたいだよ」
「そうなの。私たちは、夫婦別姓がどういうことか分かるけど、そんなことを考えたこともないお年寄りはびっくりするだけだから・・・」
「分かってる。おれたちだって無闇に波風を立てようとは思ってないよ」
その頃、私の祖父母は4人全員が健在だった。皆、私を可愛がってくれて、すでに妻も紹介していた。まさか私がこんなに早く結婚するとは思わず、孫の結婚式に出席できることをなにより嬉しく思っているのだから、おめでたい席でややこしい話は持ち出さない方がいいとの母の忠告は、私の考えでもあった。
これまで進学・就職・結婚のいずれについても、私は両親に相談をしたことがなかった。
両親をないがしろにしているわけではなく、それどころか大変親しく、尊敬しているにもかかわらず、何事につけ結論しか告げない。