仙台のある女子大学で食文化の講師をしていて、後期は「食の地域論」を教えた。
今は学期末なので、レポートを受講生に書いてもらったら、食と地域を結びつける具体例として宮城と山形の芋煮を取り上げた学生が多かった。講義の中で、山形の芋煮を持参したことがあり、いつも食べている宮城の芋煮との違いが印象深かったのだろう。
大盛況のイベントになった芋煮会
郷土料理というよりは、河原で鍋を囲む秋の年中行事として有名になった山形(内陸)の芋煮は、醤油仕立ての鍋の中に里芋、コンニャク、マイタケ、それに牛肉を入れる。
一方、宮城の芋煮は味噌仕立てで、里芋やコンニャクは同じだが、入れる肉は豚肉だ。隣同士でこうも違うと、比較文化論として論じたくなるのだろう。
味噌か醤油か、という違いは江戸時代までさかのぼれるかもしれないが、牛肉か豚肉かの違いは明治以降のものだろう。だから、「伝統料理」というほどの歴史があるわけではないが、すき焼きと醤油、豚汁と味噌という組み合わせが基礎にあって、それに芋煮が結びついたと考えると、説明ができそうな気がする。
山形と宮城の芋煮は、中身はずいぶんと違うのだが、共通するのは、「芋煮会」として学校や職場や地域などが催すイベントになっていることだ。
主体となる里芋の収穫期に合わせて「芋煮会」が設けられたことを思えば、収穫祭の一種と言えるし、いろいろな人が行き来する河原を舞台にしているところは、北米に入植した白人と先住民との「交流」を起源とする感謝祭との類似を思わせる。
芋煮を観光資源にしたのは山形だ。毎年9月の第1日曜に山形市の馬見ヶ崎で開く「日本一の芋煮会フェスティバル」は、10万人を超える人々が集まる大きなイベントになっている。
新聞記者としての初任地は山形で、秋になると芋煮会を楽しんだ。中でも新聞休刊日に「全舷(ぜんげん)」と称して、山形支局長が支局員だけでなく、県内の通信局長も集めた芋煮会は賑やかで、山形産の牛肉の味わいとともに、天然のマイタケの濃厚な香りは今も忘れられない。