ランスで藤田嗣治の展覧会が開かれている。シャンパン好きの方ならば、この街の名前をご存じだろう。シャンパーニュ地方の中心都市であるランスは、パリから東北方向にノンストップのTGVで45分ほどと、ワンデイトリップに格好の街である。

ピカソ、シャガールたちと筆を競った藤田嗣治

パリに渡って間もなくの「自画像」
Léonard Foujita, Autoportrait,1917, Aquarelle, gouache, encre et feuilles
d’or sur papier, 39 x 27,5 cm, Inv. : 1996 k 63a, ©Adagp, Paris 2010, Avignon, musée Angladon CI, Lepeltier, L’œil de la mémoire

 展覧会の会場は、ランスの市立美術館。市街の中心部にあり、かつて歴代の王たちが戴冠式を行った壮麗なカテドラルからも目と鼻の先というところに位置している。

 1886年、東京生まれの藤田は、東京美術学校を卒業後、1913年にパリに渡る。時はまさに「エコール・ド・パリ(パリ派)」の時代。藤田が拠点にしたモンパルナス界隈には、世界中から若き芸術家たちが集った。

 ピカソ、シャガール、モジリアニ、スーチン・・・。こういった、後に20世紀の画壇を代表する顔ぶれの中に藤田の姿もあった。

 裕福な家に生まれた彼のパリ暮らしは、当時の同輩の画家たちに比べるとかなり恵まれたもので、アーティストだけでなく、文化人やショービジネスの世界の人々との交流も深めた。

 日本人という個性に加えて、自分を演出するということに長けた藤田の人気のほどは、このランスの展覧会の最初で紹介されている写真などでうかがい知ることができる。

モニュメンタル(記念碑的)な部分に焦点を当てた

ランス市立美術館ディレクーのダヴィッド・リオ氏

 花魁姿に仮装してみたり、当時のいわゆる「セレブ」たちの夏の社交の場だったノルマンディの海岸で、トランプのカードをつないだような手作りの水着を着てはしゃぐ姿などは、同時代の日本人の一般的な暮らしぶりや性向と比較すると、かなり飛び抜けた人物だったと言えるだろう。

 ところで、この展覧会には、『Foujita Monumental!(フジタ・モニュメンタル)』というタイトルがついている。その意図を、美術館のディレクターで、チーフキュレーターでもあるダビッド・リオ氏はこう語る。

 「このところ、日本でもフランスでもフジタ展が盛んに開かれるようになりましたが、この展覧会では、特に作品的にも人物的にもフジタのモニュメンタル(記念碑的)な部分にスポットを当てたいと思いました」

 規模の点から言えば、この地方都市の展覧会は確かに小さい。近年東京をはじめ日本各地を巡回したフジタ展に比べれば、3分の1ほどの規模であることはリオ氏も十分に承知している。