前回は、中世の農民の「逃散」のように、医師たちが過酷な現場に耐えきれずに逃げ出している現代の医療崩壊の実態を説明しました。

 24時間、安心して治療を受けられるのが、本来あるべき医療体制です。しかし医師たちが現場から逃げ出しているようでは、そんな医療体制の実現は不可能でしょう。では、どのようにして状況を改善していけばいいのでしょうか。

解決策のヒントは中世にある

 中世の「逃散」を見てみましょう。農民たちが逃散すると農地が荒れ果ててしまい、農作物が生産されなくなっていきます。これを放置しておいては産業が減退し、年貢も減っていってしまいます。当時の幕府や大名はどのように対処していたのでしょうか?

 ウィキペディアの「逃散」の項目を参考にして、その当時に行われたと思われる方策をいくつか提示すると、次のようになります。

(その1)農民の逃散を厳しく禁ずるとともに、移住も原則として認めない。
(その2)一揆や逃散が起こった藩の大名を改易(身分剥奪)して新たな大名を任命する。
(その3)年貢軽減や代官の罷免などを行い、農民たちが帰住できるような環境を整える。

 これらを現在の医療現場にどのように当てはめられるのかを検討してみたいと思います。すると驚くべきことに、いま行われている医療改革はこの3つのパターンのいずれかに当てはめることができるのです。一つひとつ見ていきましょう。

(その1)農民の逃散を厳しく禁ずるとともに、移住も原則として認めない。

 医師を全国に計画配置すべきだとか、地方勤務を義務化すべきだという議論が、これに当たると思われます。「何らかのコントロールがなければ、医師不足や医師の偏在は解決しない」という理屈は分からなくはないです。でもそれは、過酷な勤務から逃れようとする医師を捕まえて、転職を認めないようにすれば良いという議論です。この方法の延長では医療崩壊を食い止めることができるとは思えません。

(その2)一揆や逃散が起こった藩の大名を改易(身分剥奪)して新たな大名を任命する。

 医師不足で救急の対応ができなくなった施設の病院長を責め立てたり、東京都が体制を整えられなかったということで東京都の石原都知事の責任を問う議論がこれに当てはまると思います。

 もちろん、病院長や東京都/国には、医師たちが安心して働ける環境を整える義務があるわけですから、医師が逃げ出してしまうような状況を引き起こした責任を問われるのは、仕方ないことだと思います。自分たちの首が危なくなるという状況であれば、医師たちが逃げないように一生懸命、(その3)のように環境を整えようとするかもしれません。とはいえ、公立病院の病院長は予算や人事の権限が十分に与えられているわけではありません。中間管理職者の責任を問いつめて、罷免にまで追い込むのはやり過ぎのように思われます。

(その3)年貢軽減や代官の罷免などを行い、農民たちが帰住できるような環境を整える。

 逃げ出した医師たちが、再び病院に戻ってきたくなるような環境を整えるというのがこれに当たると思われます。私は、これこそが何よりも優先して真っ先に行われるべき医療改革だと思います。待遇の改善ということで救急担当医の給与は少し増額されたようです。しかし医師たちにとって、給与が少ないことが現場から逃げ出す大きな理由だったのでしょうか?

未遂に終わった東大病院逃散事件

 10年前、当直勤務の日々が月12回に達し、本当に疲労困憊して思考能力が低下した私は、「とにかく逃げ出したい」としか考えられなくなりました。夜中の12時近く、荷物を背負い、救急外来の受付の前を通り、建物の外へ出ました。前に道路が見えます、東大病院と東大キャンパスを隔てる道路です。その道路を渡ろうとした瞬間、同級生に見つかり、私の逃散は未遂事件として失敗に終わったのでした。