1 はじめに
東日本大震災に関連する話題も「戦力回復」「予備自衛官」「空域管理」について述べた。また東日本大震災における「統合運用の実際」についても寄稿した。本稿では、兵站関連の話題について取り上げたい。
今次大震災が大規模かつ広域の被害を齎し、東北の被災地への物流が途絶し、あるいは救援物資等を被災地に送る交通幹線が細くなり、あるいは、誤解を恐れずに言えば、放射能を恐れて、物資輸送を躊躇することもありで、如何にして民生支援物資等を送るかが焦眉の急となった。
トラック協会等の民生支援物資輸送スキーム(政府輸送スキーム)とは別に自衛隊による民生支援物資輸送スキームも構築された。これは自衛隊災害派遣史上初の試みであり、成果もあったが、将来の課題として検討すべき事項も多々あった。
本稿では、政府及び自衛隊の被災地への輸送スキームの概要を紹介し、明らかになった問題点のうち少なくとも国家的対応等が必要と思われる事項について述べて、今後の参考に供したい。
2 民生支援物資輸送スキームの概要
(1)自衛隊の輸送スキーム
ア 自衛隊輸送スキームの発令と主要事象(概要)
月日 主要事象
3月11日 発災
3月15日 救援物資輸送を自衛隊が担任する旨の防衛大臣発表(*注1)
3月16日 全国知事会を通じ、各都道府県に対し自衛隊輸送スキームを周知。同日自衛隊輸送スキーム構築に関する「お知らせ」を発出
3月17日 統合輸送について通達措置、スキーム拡充に関する日通との調整。民生支援セル要員(後述)被災地へ出発(後述)
3月18日 輸送スキームによる救援物資の空輸開始
4月4日 全国知事会に対して輸送スキーム受付の一時停止について要請
4月8日 輸送スキーム各都道府県窓口受付を一時停止(*注2)
4月12日 自衛隊で保管している救援物資の活用について被災3県に対し被災者生活支援対策本部から連絡(*注3)
6月~9月 各県と物資の受け取りに関する調整(当初被災3県事後準被災県)
注1:幕僚の提案に基づく大臣決心ではなく、災害対策本部で、物資輸送が厳しい状況であることを理解した大臣が発意したものと考えられる。
注2:4月9日以降自衛隊輸送スキームによる民生支援物資輸送は再開されていない。
注3:自衛隊管理のデポ等に保管されている物資を活用して頂くために被災県に対して連絡した。
イ 当初の輸送スキーム
計画当初の輸送スキームは下図の通りである。救援物資の提供希望者(都道府県、市町村、個人を除く民間)は県等に連絡、県等は自衛隊部隊と調整のうえ持ち込み駐屯地等を提供希望者に連絡する。
提供希望者は、指定された日時に指定駐屯地等に救援物資を持ち込む。受付駐屯地からは陸自車両等により海・空自衛隊基地に輸送、同基地から被災地近傍の基地へ輸送、事後陸自車両等により所定の避難所へ輸送することとした。
当初計画の基地は那覇、板付、美保、小牧、入間、三沢、横須賀、八戸等から松島空港、福島空港及び仙台港であった。
逐次に救援物資輸送に使用する空港、港湾は拡大された。曰く、佐世保、大村、岩国、呉、徳島、舞鶴、横須賀、下総、山形、大湊等をも使用された。
ウ 輸送スキームの拡大
被災地への救援物資の輸送量を拡大すべく、当初計画したスキームに加え、民間役務車両(「日通」)を活用することとした。この為、各駐屯地等の集積地から東京に設けたハブデポ(マザーデポ)に一旦集積し、事後所要の仕分けを行った後、引き続き役務車両により日本海側の被災していない県に設けた物流拠点に運び込み、そこから被災地域に輸送することとした。その概要は下図の通りである。
右のイメージ図は、拡大された輸送スキームである。指定された基地に集積された救援物資が役務により、ハブデポ、次いで日本海側の物流拠点に搬入され、そこから脊梁山脈を越えて県の集積地に送り込まれる。
松島空港に空自機で輸送された物資は、右下図の様な流れで市町村等の集積地に輸送された。自衛隊の基地、駐屯地の拠点としての価値が発揮された。
エ 自衛隊輸送スキームによる輸送実績
2100トンの輸送を実施した。このうち、統合輸送による実績は約1000トン、日通役務車両による輸送実績は約1100トンであった。
空輸については、空自機が95%で主体であったが、膨大なソーティ数に上った。
(2)政府のスキーム
救援物資の被災地への担当は、緊急災害対策本部に設置された「被災者生活支援チーム」(3月17日設置され、当初は被災者生活支援特別対策本部と称したが、5月9日名称変更された。チーム長:防災大臣、チーム長代理:総務大臣、官房副長官、事務局長内閣府副大臣)である。(対策本部等の乱立について、非難轟々であったが、その対策本部の1つである)
このチームの任務は、県を通じた被災地の要請の把握、各関係団体や企業を通じた支援物資の調達及びトラック協会等を通じた県の物資拠点への物資の輸送となっていた。その概要は下図の通りである。
参考までに集積地数を示す。
県名 県集積地数 市町村集積地数 避難所数(最大時)
岩手 1 19 218
宮城 21 51 252
福島 6 30 86
(3)本輸送スキームは機能したか?
県集積地までの輸送については、スムーズに実施されたが、以下のような問題点があった。
●県の集積地に大量の救援物資が滞留した。政府及び自衛隊による県集積地等への送り込み量に対し、県の集積地等から避難所への払い出し量が少なく、結果的に物資が滞留した。
●被災者のニーズが的確に把握されていないために、言葉は悪いが、無秩序に救援物資が届けられ、結果的に被災者のニーズにマッチしない物資が滞留を助長した。需要と供給の節帳を図るべきシステムが存在しなかったので、このような状況が生起した。
●集積地の倉庫管理の不適切により、現状把握もままならず、必要な物が必要な時に払い出し得ないという状況が生起した。
●輸送量と輸送力のミスマッチ等も有り、各端末地の業務の偏在や一時保管物資の偏在等、効率的な物資輸送に難を生じたこともあった。全体を統括するシステムが必要であった。