ツール・ド・フランスと言えば、100年以上の歴史を持つ、プロ自転車ロードレースの最高峰だ。日本のスポーツニュースでも紹介されることがあるし、その名前と伝統の重さは多くの人がなんとなく知っている。しかし、日本ではまだ馴染みの無い競技だけに、その面白さを知る人はほとんどいないだろう。

サクリファイス
近藤 史恵著、新潮文庫、460円(税込)

 『サクリファイス』は、日本のプロロードレースチームの新人・白石誓(しらいし・ちかう)を主人公としたミステリーだ。

 チカは、高校時代は陸上の短距離選手だった。走ることは好きだった。タイムを伸ばし、大会で勝利を重ね、将来のオリンピック候補とまで期待されるようになるが、次第に「勝つために走る」という重圧で息苦しくなっていく。たまたま、テレビで流れていたロードレースの映像が、転向のキッカケとなる。

 チカにとって、ロードレースの魅力は「アシスト」というシステムだった。チームのエースを勝たせるために、アシストはレースを引っ張ったり、時には、撹乱したりする。そのために、レース前半で力を使い切ってしまい、自分の成績は棒に振ることは珍しくない。自分が勝つためではなく、誰かを勝たせるための存在がいて初めて成り立つ競技がロードレースだ。

 新人・チカの目を通して、ロードレースという競技仕組みや魅力が自然と頭に入ってくるが、決して、過剰に説明的ではない。日本では、ロードレースはメジャーな競技ではないが、「自分のためではなく、誰かのために、心臓が破裂するほどに走る」ということは、どこか、とても、日本人のメンタリティーに合っているような気がする。

 前半は、「アシスト」として走ることに生きがいと充実感を感じているチカとともに、ロードレースの楽しさ、走り抜けるスピード感、爽快感を満喫できる青春小説。

 しかし、終盤へと読み進むにつれ、物語はミステリーへと様相を変えていく。そして、「サクリファイス」が「エースの勝利のために、自らを犠牲にするアシスト」であるという読者の勝手な思い込みは、二重にも、三重にも裏切られる。

自転車少年記 ─あの風の中へ
竹内 真著、新潮文庫、460円(税込)

 エースのために自らを犠牲にするアシストよりも、アシストの献身を前提に、勝利を義務づけられたエースの苦しみが胸に迫る。

 2008年の本屋大賞の第2位の作品の待望の文庫化。「1500円はちょっと高いな」と思って読み逃していた人は、是非、この機会に!

 ちなみに、2007年の本屋大賞の1位は陸上短距離競技をテーマにした『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)、同3位が箱根駅伝の『風が強く吹いている』(三浦しをん著)と、本屋大賞は「走る」小説が高評価のようだ。停滞した時代だからこそ、「走りたくなる」のかもしれない。

 本格的なレースではなく、もうちょっと気楽に風を感じたいという人には、『自転車少年記』(竹内真著)がおススメ。この寒さが緩んだら、自転車にまたがって、遠くまで行きたくなる。