1月19日、日本を代表する航空会社が子会社2社とともに、東京地裁に会社更生法の適用を申請。公的管理下で経営再建を目指すことになった。負債総額2兆3200億円は戦後4番目の規模。金融機関を除いた事業法人としては過去最大の倒産劇となった。

 クレジットではなくマクロの視点で気になるのは、「日本の翼」とも一頃呼ばれていた日本を代表する航空会社(ナショナルフラッグキャリア)がなぜ倒産することになったのか、という原因の問題である。

 平野博文官房長官は1月19日午後の記者会見で、「今日までの経営問題を含めて、景気がこういう状況になった帰趨としての結果だと思う。ナショナルフラッグだからどうのこうのということはない」と述べた(NQN)。個別企業の経営(ミクロ)と経済全体の悪化(マクロ)の双方が原因だという認識を表明したことになる。また、菅直人副総理・財務・経済財政相は同日夕刻、「親方日の丸の体質や政治的、行政的な関与があった」と述べた。

 財界では、大阪商工会議所の野村明雄会頭が同日、「経営者だけの問題ではない。航空行政やそれぞれの地域の利害関係者の責任もある」と指摘した。

 また、日経新聞は20日朝刊の解説記事で、「経営悪化の引き金は世界的な金融危機だが、背景には根深い構造問題がある。問われているのは一企業の再生ではなく、この国の政官業に長く根付いてきた古い日本型システムをどう作り直すかだ」とした。筆者もまったく同感である。戦後日本で長く続いてきた経済・財政システムの限界が露呈した新たな一幕というのが、今回の大型倒産の位置付けになる。

 フラッグキャリアの経営破綻は過去、諸外国にいくつもの実例がある。航空自由化の流れの中で、経営体質の改善に失敗したケースが多い。それらの中で、筆者が今回の日本のケースと似ている部分があると考えるのが、ベルギーの事例である。

 ベルギーのフラッグキャリアは、1923年に国策会社として創設。首都ブリュッセルをハブとする欧州路線と、旧植民地ザイールなどアフリカ路線のネットワークが特色となっていった。1969年には東京に乗り入れている。石油危機以降、何度も経営危機に見舞われてきたが、政府による追加支援や、フランスやスイスの大手航空会社との資本提携などで、何とか乗り切ってきた。しかし、2001年の米同時テロ事件以降の航空需要減退、格安航空会社の隆盛などから追い込まれ、2001年10月に会社更生法の適用を申請。同年11月には破産の申し立てを行い、受理された。(1)不採算の旧植民地向け路線などを数多く抱え込んでいたこと、(2)労働条件が手厚いベルギーの風土から雇用・賃金面のリストラが遅れたこと、(3)アイルランドの格安航空大手がベルギーの空港をハブにする攻勢に出て多数の利用客を奪ったこと、(4)スイスの大手航空会社と提携した上で大胆な拡大戦略に出て局面打開を図ったものの失敗したことなどが、最終的に経営が行き詰まった理由として挙げられている。

 上記(1)の「旧植民地」を「地方空港」に、(2)の「ベルギー」を「日本の航空業界」に入れ替えると、筆者が似ていると考える理由がお分かりいただけるだろう。

 銀行も経営破綻するということを日本人が分かったのが、1990年代。アジア経済の中心点が日本から中国にシフトしつつあることに日本人が気付かされたのが、2000年代。筆者はそのように整理している。そして、2010年代の冒頭で、フラッグキャリアでさえ倒産するという事実に、日本人は直面した。これまでの常識が通用しない、言い換えると、いったい何を信じればいいのかが分からない、「混迷の時代」が深まっている。