MRIC by 医療ガバナンス学会 発行

 震災から半年、東京電力福島第一原子力発電所原子炉群の事故後の収拾作業は、今なお続いている。報道で知る限り、住民や原発事故の収拾に携わる作業員の健康被害については問題が山積している。

 事故発生後、早々と作業員の緊急時被曝線量の年間限度値を100mSv(ミリシーベルト)から250mSvに上げたことなどは、ご都合主義そのものだった。作業が長期化する中、作業環境整備や健診といった安全管理の体制の不十分さが伝えられている。

 緊急時対応についても同様である。福島原子力発電所事故対応作業者等における自己造血幹細胞採取・保存を勧める声が上がり、谷口プロジェクトとして今も問題提起を続けているが、原子力安全委員会からは不要(平成23年3月29日付)、日本学術会議からは不要且つ不適切との見解(平成23年4月25日並びに5月2日付)が出て、全く受け付けない姿勢が示された。

 一方、日本造血細胞移植学会は、高い放射線被曝の可能性が完全に否定できない現状では本方法が不要・不適切と結論づけることはできず「学会としては、自己造血幹細胞採取・保存が可能とする体制を維持せざるを得ない」(5月23日付)としている。その後、議論はなされていない。

 これらの見解の相違は、いわゆる「医学的根拠」の問題で終わらないように感じる。

私たちが共有している急性放射線障害に対する治療経験

 現在、人類が共有している放射線被曝の事例は、原爆の被曝医療調査や米国の原子力の軍事応用の開発初期の被曝事故、そして東海村やチェルノブイリや東海村JCO臨界事故などの治療経験である。

 1986年のチェルノブイリ原発事故の際、UNSCEAR(2000)によれば、当初に十分な情報を与えられないまま初期作業に当たった緊急時要員のうち134人が急性放射線障害(ARS)と診断され、そのうち28人がARSのために年内に亡くなっている。

 同種造血幹細胞移植治療という、抗癌剤や放射線治療で低下した患者の造血能を救援するために新たに他人から元気な造血幹細胞をもらってきて補充するという方法論は、1986年当時にはほぼ確立されていた。

 この事故でもARSに対し十数例に同種骨髄移植治療が行われたが、そのほとんどが比較的早期に死亡したという。

 1990年代初頭にイスラエのソレクや白ロシアのネスヴィツにあるCo-60放射線滅菌施設でも被曝事故があり、作業員が同種骨髄移植やサイトカイン療法を受けた。