多くの事情通の予想を裏切って「男性一色」感の強い結果となってしまいました。何の話かと言うと、今年のノーベル賞受賞者の人選です。
マリー・キュリーから100年
2011年のノーベル各賞、下馬評では女性科学者の受賞が相次ぐのではないか、と言われていました。
なぜかと言えば、100年前の1911年、マリー・キュリーがノーベル化学賞を受賞していたからです。
実はキュリー夫人は1903年にノーベル物理学賞も受賞しているので、化学賞は彼女にとって2つ目のノーベル賞だったわけです。
まだ創設まもないノーベル賞は多額の賞金で国際的に話題を振りまく存在でした。
当時は科学研究への公的サポートのシステムも脆弱で、キュリー夫妻のように私財を投じて研究を進めていた科学者たちにとって、賞金は大きな仕事の駆動力となりました。
マリー・キュリーから100年、が話題になったのには理由があります。それは、ここ100年来指摘され続けてきたノーベル賞の「男性優位」という批判に、ノーベル財団や委員会が一定の姿勢を見せるだろうと思われていたからです。
女性科学者が報われなかったケースとしてしばしば言及されるのは、ロザリンド・フランクリンやリーゼ・マイトナー、呉健雄らのケースが有名です。
差別されてきた女性科学者たち
ロザリンド・フランクリンは遺伝子の「二重螺旋(らせん)構造」を発見した英国の女性X線分析物理学者です
DNAが何らかの螺旋の構造を持つことは知られていましたが、それがどのような形をしているか、最終的な決定打となる研究はなされていませんでした。
フランクリンは献身的な仕事への姿勢と卓越したX線解析の能力によって、未知のDNAの構造を「二重螺旋」であると証明する写真を撮影した張本人です。一定程度この分野に通じた人なら、彼女のデータを一目見れば誰でも答えが分かった。
で、実際にそれをまとめたのが物理屋のフランシス・クリックと生物屋のジェームズ・ワトソンのペアで、彼らと、フランクリンの共同研究者だったモーリス・ウィルキンスがノーベル医学生理学賞を受賞しましたが、フランクリン自身への授賞は見送られました。