昨今の日本社会が慇懃無礼化しているのではないかということを、東京電力の「ご被害者のみなさまへ」という言葉遣いを例に挙げて以前このコラムで考察した。
そこでは、東電を批判するだけが目的ではなく、いまの日本社会でつかわれる言葉が、やさしさを失っている社会の実態をカモフラージュするように、逆にますます形式的になっていると感じたので、その視点から論を展開してみた。
読者からも「いつからか慇懃無礼な社会になってきたようだ」という反応をいただいた。
言葉は時代とともに変わるし、敬語や日本語の本来の使われ方が誤用されていくのも当然である。だからそれをことさらあげつらうつもりはない。ただ、言葉は社会の鏡であることを考えれば、気になる言葉のつかわれ方のなかには、いまの社会を反映しているものがある。
歪んだ社会の実態を表す言葉の乱れ
そして、それが社会の好ましい変化や実態を反映しているのならほほえましいのだが、そうとばかりは言えない。歪んだ社会の実態を表していると思われるので、突っ込んで考えてみたくなるのだ。
その代表格が、前回のコラムで最後に触れた「~させていただく」である。過剰な敬語の象徴とも言えるこの言葉については、よく議論されてきた。
「必要以上に使われている」という批判が多いと同時に、「おかしいかな、と思ってもついついつかってしまう」とか、「つかわないと丁寧じゃないような気がしてしまう」という意見をよく聞く。
その理由は、テレビをはじめマスメディア上で、相変わらず「~させていただきます」が濫用されているからだろう。それも若いタレントが言うだけでなく、相当の社会的地位にある人がつかうから影響力は大きい。
例えば、野田佳彦首相も「政務三役で決めさせていただきました」などと頻繁にこの言葉をつかう。振り返れば、自民党政権でも麻生太郎元首相は施政方針演説で「~させていただきます」をつかっていたし、菅直人前首相も例外ではない。
鳩山由紀夫元首相にいたっては、国会の所信表明演説のなかで「・・・友愛政治の原点としてここに宣言させていただきます」と、声を張り上げた。