このところ中国企業の海外進出には目覚ましいものがある。東南アジアはもちろんのこと、南北アメリカから中東・アフリカ地域まで、中国新規ビジネス立ち上げとそれに伴なうトラブルが報じられない日はないほどだ。
今回は中国自身の立場から、この問題の本質を検証してみたい。
スーダンで堪能した「酸辣湯」
一例を挙げよう。スーダンの首都での話だ。昔ハルツームで絶品の酸辣湯を味わったことがある。この辛酸っぱい四川料理のスープ、実は筆者の大好物なのだが、まさかアフリカのスーダンでこんな美味いものが食べられるとは思わなかった。
昔と言っても数年前の話ではない。今から30年も前の1980年夏、筆者は外務省の在外語学研修員だった。エジプトでアラビア語を学んでいた時のエピソードである。カイロはもちろん、中東・アフリカ全域でも、まともな中華レストランなどなかった時代だ。
だからハルツームで中華料理と言われてもピンとこなかった。「どうせ麺はスパゲティだろ」などと高をくくっていた。当時一般アラブ人は中華麺とイタリア麺の区別すらできなかった。それにしても、なぜスーダンに本物の四川料理があったのか。
理由は簡単。当時中国政府はスーダンで農業援助プロジェクトを実施していた。四川から数百人の農民が「村ごと」動員され、ハルツーム近郊の大地に投入されたのだ。彼らの初仕事は、当然ながら、四川から持ち込んだ中国農産物の栽培だった。
スーダンは亜熱帯気候だからか、気候風土の近い四川省が選ばれたようだ。ここで育った四川野菜の一部が件の中華料理店に流れ、同じく彼らと共にやってきた四川人のシェフが本場の味を再現するということらしい。スープが美味しいのも道理である。
バグダッドの売春宿
四川と言えば、こんなこともあった。2004年春、筆者はイラク戦争直後のバグダッドにいた。ある日、USAID(米国際開発庁)に勤務する中年の米国人女性が朝から金切り声を上げていた。何事にも過剰反応する彼女ではあったが、その時ばかりは少し話が違った。
当時筆者はCPA(連合国占領当局)で勤務していた。オフィスはグリーンゾーンと呼ばれた特別行政区域内にある。米軍が一般人の立ち入りを厳しく制限していたところだ。USAIDの彼女は、そのグリーンゾーン内で何と中国人が売春宿を開業したと言う。
早速朝の会議では、CPA関係者はそこに立ち寄ってはならない、と決まった。だが、そう言われると、見たくなるのが人情だ。筆者は数週間躊躇した後、ある日、遂にその現場近くに赴いた。