天は二物を与えるのだろうか? 森鴎外は陸軍軍医として4年間留学したドイツから帰国後、アンデルセンの『即興詩人』の翻訳や小説『舞姫』で著作活動を開始、明治の文豪の一人として歴史に名を残した。他にも、不倫小説『失楽園』で一世を風靡した渡辺淳一、「どくとるマンボウ」シリーズの北杜夫、『ブラックジャック』の手塚治虫などなど、医学博士の肩書を持つ文筆家は意外と多い。(文中敬称略)
しかし、ここ数年、最も勢いのある医師兼作家は、なんといっても海堂尊だろう。東城大学医学部付属病院を舞台とした医療ミステリー『チームバチスタの栄光』は2008年2月に映画化、同年の秋にはフジテレビ系列で連続ドラマにもなった。海堂は、その後も、チームバチスタシリーズの『ナイチンゲールの沈黙』『ジェネラル・ルージュの凱旋』や不妊治療をテーマにした『ジーン・ワルツ』、地域医療問題を扱った『極北クレイマー』など次々と話題作を発表している。
海堂に比べるとやや地味な存在ではあるが、久坂部羊も現役の医師兼作家であり、医師としての知識・経験・洞察をフル活用した作品を発表している。「チームバチスタ」シリーズを読めば、エキセントリックな厚生労働官僚役に阿部寛を起用して映画を作りたくなる気持ちが分かるほどに、良くも悪くもエンターテインメント性が強く、劇画チック。それに対して、久坂部作品は今のところ、映画化もドラマ化もされていない。しかし、派手さはないが、「これは、もしかして小説ではなく、ノンフィクションなのだろうか」と考え込みたくなるようなリアルな薄気味悪さが充満している。
デビュー作の『廃用身』は、脳梗塞などで麻痺して回復の見込みのない手や足を切断するという、常人には思いもよらない治療法を考案、実行してしまった医師の物語。
そのロジックは、麻痺して動くことのない腕や足は日常生活の動作の役に立たないばかりか、本人にも介護する人にも「おもり」として負荷がかかってしまう。「この手さえ動けば、もっと楽しい人生なのに」と拘泥するよりも、いっそ切断することで「残された片腕で字が書けるようになろう、ご飯を食べられるようになろう」と機能する方に気持ちを向けQOL(Quality Of Life=生活の質)が高まる――というもの。
なるほど、「老々介護」という迫りくる現実に向き合う時、介護される側の体重は少しでも軽くしておきたいというのは切実なテーマなのかもしれない。輸血や臓器移植といった治療法も、偏見や恐怖を克服して徐々に受け入れられたように、もしかしたら廃用身の切断が当たり前の日がやってくるかもしれない――そんな妙な説得力がある。
2作目の『破裂』では、寝たきり老人を減らすため、行政主導でポックリ死を推進する計画など、一段とグロテスク度が増している。しかし、超高齢化社会、健康保険制度の破綻といった現実に私たちの社会が直面していることを考えると、単に薄気味悪い小説なのではなく、10年後、20年後の日本を見せられているような気がしてくる。