高田氏の報告書が指摘するように、官僚の既成概念にとらわれないボールズ顧問らの発想力が、ブラウン財務相の指導力と結び付き、「ニューレイバー」(新しい労働党)の大胆な政策転換を可能にしたのであろう。しかし大臣の意を体した顧問らが政府部内で行政機能を積極的に発揮したわけだから、「行政の政治化」として相当の物議を醸しようだ。
実はこの「ボールズ・モデル」は、小泉純一郎内閣当時の竹中平蔵経済財政担当相が郵政民営化の基本方針を経済財政諮問会議で決定していくため、10名程度の専門家・官僚らで結成した「私設顧問団」に近いと指摘する識者もいる。竹中氏が自著『構造改革の真実』(日本経済新聞社)でこの内輪の顧問グループを「ゲリラ部隊」と呼ぶ通り、この部隊の政策推進力はゲリラ豪雨並みに圧倒的であった。
「ボールズ・モデル」あるいは「ゲリラ部隊」のように、大臣と顧問の間で政策決定を主導するモデルの最大リスクは、官僚がその野心のために顧問との距離を縮めようとする動きを誘発しやすい点にあるという。
高田氏の報告書はこう書いている。「特にブラウン財務相は、彼の少数の側近との間だけで物事を決める傾向があり、このインナー・サークルとの近さが英国財務省の行政官の出世をも左右するという噂もある」
戦前期日本のように、革新官僚がスタンドプレーに走るリスクがあるということなのだろうか。
短くなる在職期間、流動化する官僚雇用市場
第2の乖離は、「官僚の在職期間の短期化」だ。
高田氏の報告書によれば、英国財務省は出世も早いが、見切りをつけて辞めていく者も多い。外部との間で人材の回転が極めて激しい。10年以上前から英国財務省に在籍している者は全職員の15%程度に過ぎなかったという。
もちろん、英国の官僚たちに「天下り」はない。自らの雇用機会は自ら切り拓かねばならない。幹部のキャリアアップのために、政府部外での職務経験が奨励さえされているという。省庁をまたがる出向・転籍も頻繁だ。そうしなければ、官僚に競争力がつかないことがよく理解されているからだろう。
しかし英国の実態は、民主党マニフェストの「(公務員が)定年まで働ける環境をつくる」とはいささか方向性が違う。理想と現実のギャップを埋めるべく、日本の政と官の関係は政権交代後しばらくの間、行きつ戻りつの試行錯誤を繰り返すのだろうか。
政と官の関係、戦前も政権の根幹を揺るがす
実は、政治家と官僚の関係の「再規定」がわが国で迫られるのは、何も今回が初めてのことではない。
1898(明治31)年、最初の政党内閣である第1次大隈重信内閣が成立。以来、1932(昭和7)年の5.15事件で犬養毅首相が暗殺され、太平洋戦争前の政党政治が終わるまでは、戦前も政官関係は政権の根幹を揺るがしかねない大きな問題だった。
その問題とは、閣僚以下どの官職を政党員に開放するか、という文官任用令の改正問題に象徴されている。
清水唯一朗著『政党と官僚の近代』(藤原書店)は、文官任用令の改正問題に焦点を置きつつ、戦前期政党政治の政官関係で従来は常識とされてきたことを鮮やかにひっくり返してみせた好著である。
例えば、1913(大正2)年に政友会が与党となり、第1次山本権兵衛内閣が成立。すると文官任用令を改正し、各省次官及び勅任参事官にまで自由任用、すなわち政党員の就任を拡大する措置を講じた。従来の解釈によると、この措置は政府高官への政党人登用の拡大のための改正とされてきた。