胡錦濤政権は国民に対して、「和諧(わかい)社会」(調和の取れた社会)づくりを呼びかけているが、「和諧」社会の定義は必ずしも明らかになっていない。

 感覚的には、対立が少なく、そこそこ幸せな社会が「和諧」社会だろうと思われる。しかし、現実の中国社会を見ると、国民の不満が増幅しており、決して調和が取れているとは言えない。

 実は、社会の調和が取れていることと、富の蓄積、すなわちGDPの成長とは必ずしも関係がない。日本は世界で2番目の経済規模を誇り、豊かさは世界トップレベルである。にもかかわらず、毎年の自殺者は3万人を超え、殺人事件も多発している。

 古典的な経済学の理論は、もっぱら効率を追求することによってGDPの成長を目指すためのものである。1972年にイタリアのシンクタンク、ローマクラブが発表した『成長の限界』という論文は、近代経済学の理論がすでに限界を迎えていることを示唆していた。

 今回の金融危機は、近代経済学のモデルの限界を改めて示している。その中で、中国の「和諧」社会づくりの模索は有意義な実験であるに違いない。

列車に乗り遅れまいとする中国人

 30年前に比べ、中国社会は財布が確実に豊かになっているが、「心」は必ずしも豊かになっていない。むしろ、中国人の生活はますますゆとりがなくなっている。

 30人の文学者と文芸評論家の回顧録を集めた『70年代』(Oxford University Press, 2008)は、「改革開放」政策前の70年の中国社会について「あの時代は貧しくて何もなかったが、時間だけはあった」と振り返った。

 それに対して、今の中国では時間さえなくなりつつある。ものがあっても時間がない状態は決して「豊か」とは言えないだろう。

 筆者は毎月のように中国に出張するが、なぜ中国社会と中国人がこんなに怒りっぽいかが、不思議でしかたがない。例えば、相手のミスを絶対に許さない。

 北京のあるレストランで遭遇した出来事だった。羊のしゃぶしゃぶの小さな店だが、その時、肉を2皿注文すれば、1皿がプレゼントされるというサービスを行っていた。その効果があって、ランチライムの店はごった返していた。

 向かい側に座ったのは感じのいい40代ぐらいの夫婦だった。3皿の肉と野菜などを注文し、食べた。最後に、会計をしたら、ウエートレスのミスで3皿の肉と野菜の合計金額が請求された(本来なら肉1皿がただのはずだ)。