L氏に連れられて、图们江に沿って国境を歩いていく。延辺自治区は图们市に来ていた。同自治区の中心都市である延吉市から、車で1時間くらいの場所に位置する。

 長い旅になった。いろいろな人に会った。500キロは歩いただろうか。長年渇望してきた中朝国境の旅も、そろそろ終盤に差しかかってきた。

 筆者は国境の静けさが好きだ。時間が、風景が、吐息が、そして人々の思いが、ゆっくりと流れている空気を存分に吸い込むことができる。

5年間で30万人に及んだ脱北者

吉林省延辺朝鮮族自治州図們市

 L氏が口を開く。

 「脱北できる場所はたくさんあるが、特に图们付近は多いんだ。俺の知っている限りでは、1998~2002年の5年間で30万人ほどが脱北した」

 「そのうち、延辺地区だけで10万くらいいる。今我々が歩いているこの場所も、脱北行為が頻繁に発生する地域だ」

 「1998年」という年頃は、北朝鮮の政治経済を理解するうえで重要である。

 北朝鮮国内の飢饉・食糧危機が1994年頃から本格化した。それがピークに達し、多くの人民が餓死した。国内にとどまることが苦痛で仕方がなくなり、中国側へと脱北する規模が一挙に拡大したのである。

 L氏の紹介によると、平壌の平均月収は1500~2000朝鮮ドル程度、報酬が高いと言われる教師の月収が4000~5000朝鮮ドルである。参考までに、2009年3月日の時点で1人民元=568朝鮮ドルというから、教師の月収は10人民元以下ということになる。

 2009年の下半期、筆者が北朝鮮商人に聞いた話によると、当時国内の米は1キロ=2100朝鮮ドルだった。2キロ買ったら教師の月収はパーになるという割合だ。