日本郵政の西川善文社長の進退問題は、麻生太郎首相が鳩山邦夫総務相を事実上更迭し、一応の決着をみた。この間、麻生の判断はまたもや迷走。決断は遅きに失し、指導力と決断力のなさを露呈した。これで西川再任の方向となったが、日本郵政をめぐる問題が片付いたわけではない。宿泊保養施設「かんぽの宿」の売却をめぐっては、依然として疑惑が残されている。(敬称略)

鳩山法相、死刑執行は死に神ではなく「文明」

麻生政権と決別、鳩山前総務相(参考写真)〔AFPBB News

 「自分が正しいと思ったことが通用しなかったんで潔く政府を去ったわけで、私もそういった意味で内閣を去ることは躊躇しなかった。潔さが大事だから。正しいことが通用しないと思ったら潔く去るのがいいんじゃないか」

 「まあ、いずれ歴史が私の正しさを証明してくれる。歴史と言っても50年、100年じゃなくて、1年以内に証明は出るんじゃないか。国民はそれを注視していると思う」

 2009年6月12日、首相官邸で麻生に出した辞表が受理された後、鳩山は記者団にこのように語った。悔しさをにじませながらも、西川の社長続投を拒否した自らの「正しさ」を強調したわけだ。

「西川謝罪」妥協案を一蹴した鳩山

 「すべては鳩山の選挙目当てのパフォーマンス」「個利個略。郵政を利用して、自分のことだけ考えている」。自民党内では、鳩山に対する批判が相次いでいる。

 確かに、メディアを前にした鳩山の一連の発言やパフォーマンスは鼻についた。しかし、鳩山が国民から少なからず喝采を受けているのも事実だ。日本郵政による「かんぽの宿」の不透明な一括売却を批判し、鳩山が西川の経営責任を迫る姿勢には世論の支持が多い。これが、鳩山の強気を支えてきたのだ。

 一方、麻生周辺は「(鳩山と西川)2人とも残す道を探ったが駄目だった。仕方ない」と肩を落とした。

 6月12日午前、首相官邸で行われた1回目の会談で、麻生は「西川が詫び状を書いて、頭を下げるから手を打てないか」と切り出し、西川が鳩山に謝罪する妥協案を提示した、

 しかし、鳩山は「お詫びすべきは私にではなく、国民に(対して)だ。その妥協案はのめない」と一蹴。自民党総裁選で麻生への応援を続け、派閥横断の麻生支援グループ「太郎会」の会長だった鳩山はついに、麻生に見切りをつけた。

 鳩山「辞任か更迭ですね」
 麻生「そういうことです。悲しいけど、辞表を書いてくれないか」

 結局、鳩山は2回目の会談で、麻生にクビを切らせるのではなく、自ら辞表を提出する形を取った。

社長交代は麻生の意向、鳩山が暴露した「リスト」

 実は麻生は2009年2月、西川社長を交代させる意向を固めていたという。6月15日、鳩山が退任の記者会見で、3月か4月に麻生から手紙をもらい、西川の後継となる社長候補の実名が複数書かれたリストが同封されていた事実を明らかにした。そこには、元日本郵政公社総裁の生田正治、東京証券取引所会長の西室泰三らの名が記されていたとされる。

 なるほど、鳩山が「首相の言葉を信じる」と強調し、西川拒否を貫いたのも無理からぬことだった。「社長交代は既定路線と安心してしまった」と鳩山は会見で語ったが、もともとは麻生が「西川切り」に動いたことを鳩山は暴露したのだ。そして鳩山は、麻生に梯子を外されたとでも言いたいのであろう。

 次期衆院選やその後の政界再編をにらみ、鳩山は麻生政権という「泥船」から今のうち逃げ出す方が得策と考えたのかもしれない。