世界経済が米国のサブプライム問題を発端とする金融危機に見舞われる中、中国経済がこれまでの高成長を持続できるかどうかに注目が集まっている。
これまでの30年間の「改革開放」政策は世界における中国経済の存在を高め、今や中国は世界の工場から世界の市場へと変身しつつある。
ただし、中国経済は着実に離陸したものの、安定して飛行しているわけではない。
外需依存の中国経済は米国の景気低迷の影響を受ける可能性が高い。そのために内需を振興しなければならないのだが、社会保障制度が未整備なので、家計は生活防衛を強化し、消費よりも貯蓄を増やそうとしている。これまでの20年間で中国は年平均9.6%の経済成長を続けてきたにもかかわらず、家計の消費性向は一貫して低下している。
同時に、中国社会は格差が拡大し、不安定化している。『論語』には、「有国有家者、不患寡而患不均、不患貧而患不安」という言葉がある。すなわち、「国を有(たも)ち家を有つ者は、寡(すくな)きを患(うれ)えずして均(ひと)しからざるを患え、貧しきを患えずして安からざるを患う」ということである。中国社会は伝統的に平等を尊いものと考えるのだ。中国社会が不安定化しているのは、貧しさそのものへの不満というよりも、まさに不公平感が増幅していることによる。
転換迫られる「科学的発展」モデル
1998年、当時の朱鎔基(しゅ・ようき)総理は非効率な設備投資に依存する経済成長は持続不可能だとの認識から、資源投入をどんどん拡大する「粗放型」(extensive)成長から、効率化を目指す「集約型」(intensive)成長への転換を決意した。あれから10年経過したが、中国経済の成長パターンはほとんど変わっていない。
2003年、胡錦濤政権が誕生すると、「それまでの経済発展は規模こそ拡大できたが、科学的ではなかった」という反省を踏まえ、「科学的発展観」を打ち出した。
分かりやすく言えば、「エネルギーを大量に消費する経済成長は持続不可能である。同時に環境問題、公害問題をいっそう深刻化させてしまう。このような非科学的な発展を改めよう」という狙いである。この発展観に沿って、胡錦濤政権は2006年から始まった第11次5カ年計画で、環境保全の目標値を初めて盛り込んだ。
しかし、第11次5カ年計画はすでに2年半が経過したが、その目標はほとんど達成できていない。それよりも最近、共産党幹部と政府系エコノミストから、そもそもあのような目標は実現不可能なものだったとの指摘が目立つようになっている。
なぜならば、現在の中国の経済成長は昭和30年代の日本経済と酷似している。経済は重工業への投資拡大によって牽引され、経済が成長すればするほどエネルギー資源の消費が増える。それによって環境公害問題は自ずと深刻化する。まさに、ジレンマである。