1991年12月ソビエト連邦が崩壊し、それまで連邦を構成していた主権国家の1つとしてロシア連邦が復活した。
しかし、1990年代のロシアはボリス・エリツィン政権の下で民主化が進められたものの、2000年に大統領に就任したウラジーミル・プーチンはいわゆる「主権民主主義」を掲げ、欧米の自由民主主義とは一味違う民主主義路線を突っ走ることとなった。
軍事大国としての矜持
この「主権民主主義」の下、ロシア国民はプーチンの国家政策および対外政策を支持し、経済的な混乱に耐えつつも、軍事大国としての矜持を保つ路線を選ぶこととなった。
その背景には、経済混乱とソ連邦崩壊に伴う貧困化という荒波の中、国民は旧ソ連邦のような体制の方が貧しくとも平等感あふれる社会環境であったと考えるようになったことが挙げられる。
さらに、強力な国家主権の存在を国民一般の自由よりも優先すべきとする世論が大勢を占めることとなり、プーチンが意図する軍事大国復活路線を支持することとなった。
プーチン大統領はこうした国民動向を素早く読み取り、大統領1期目の基本政策として「強いロシアへの回帰」を掲げ、チェチェン紛争への対応に象徴されるような強硬な路線を取るとともに、大統領2期目では大国ロシアとしての復権を図るべく、対外的に強硬な姿勢を取ることとなった。
そしてその背景には、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大があった。
NATOは、ソ連が崩壊する前年の1990年、東ドイツが新加盟国として登録された後、1999年にはチェコ、ハンガリー、ポーランド、2004年にはブルガリア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、スロバキア、スロベニアと新加盟が相次ぎ、この時点では加盟国は26カ国に及んでいた。
実に、ソ連邦崩壊に前後して11カ国が2004年までに加盟しているのである。