「最後の文豪」と言われた団鬼六師が2011年5月6日、胸部食道癌のため亡くなった。79歳だった。
鬼六師は、滋賀県彦根市生まれ。関西学院大を卒業後、上京。バーの経営や中学校の代用教員など職を転々とする。1956(昭和31)年に「オール読物」の新人杯に入選した。当初は純文学を書いたが、雑誌に投稿した官能小説が評判となり、独自の境地を開いた。
2度の脳梗塞、腎不全による透析、癌との闘病を乗り越えて、2010年に上梓された『死んでたまるか』(講談社)を拝読しても、その筆勢はいまだ隆盛期と変わらず、精緻にして流麗。ユーモアに満ち溢れている。一時、80キロあった体重も、今年の春には46キロ。食道癌により点滴で栄養を摂取していたという。
70歳を過ぎたころ、「バイアグラを飲んでも、もう効きませんわ」と嘆いていたが、「快楽なくして何が人生」という現実的な欲の達成こそが師の人生哲学だったのかもしれない。
数年前に愛人が自殺した際には、憔悴しきって「おれも死にたい」と毎日、泣き暮らしていた時もあった。
癌に蝕まれてからは、食通であった師に唯一残されていた快楽の美食すら、満足に摂れなくなった。しかし、まだまだ書き残していることがある、と執筆への執念が師の胸に煌々と灯っていたのである。
人を集めてドンチャン宴、凄まじいほど金離れが良かった
私と鬼六師との出会いは、今から16年前に遡る。鬼六師が相場で大きな損失を被り、横浜の豪邸を売り払い、東京都杉並区の永福に移り住んで間もない頃のことだ。
師は官能小説の巨匠であるとともに、破天荒な無頼漢であった。
しかし、奇怪かつ異様とも思えるその名前の字面とは逆に、気さくで腰が低く、気配りの達人でもあった。