世界同時不況でどの企業もかってない急激な受注減に苦しんでいる。倒産情報もあちこちで聞かれる。

 世界一の自動車メーカー、ゼネラル・モーターズ(GM)ですら倒産が噂される時代だから大概のことには驚かないのだが、今年2月末に駆け抜けた「インクス倒産」の情報には本当にビックリした。それまで微かな噂すら聞いたことがなかったからだ。

 インクスと言えば、金型業界に大革命を起こし、経済産業省の「第1回 ものづくり日本大賞」をはじめ、名だたる工業・技術・科学関係の賞を総なめにしてきた企業である。優良ベンチャーとして、その名は日本のみならず世界に鳴り響いていた。

 そのベンチャーの星がなぜ?

3次元光造形機を日本へ

 インクス創業者の山田眞次郎さんは元々は日本の自動車部品メーカーのエンジニアで、自動車のドア金具を米国メーカーに売り込むため米国に駐在していた。

 他社との厳しい競争の中、山田さんは日米の時差を利用して、米側の質問に対して翌日に丁寧に回答、試作依頼には航空機を活用して3日で納品、というスピード対応を心がけ、見事、受注に成功。この頃から、スピードがビジネスの決め技の1つであることを体得していた。

 転機が訪れたのが1988年に、当時開発された3次元自動造形機を見た時だ。この機械は3次元データをベースにして、立体模型を自動的に作っていく。作り方は様々だが、代表的な作り方として次のような方法がある。

 レーザーを当てると固化する「光硬化性樹脂」(この時点では液体)の中に、模型の台を1ミリ程度沈める。こうすると、台の上に1ミリ程度の厚さで液が薄く広がる。これにレーザーを当てると、当たった部分だけが固まる。

 次に台を液の中に1ミリ程度沈める。するとまた液面が現れるので、その液面に再びレーザーを当てる。このように順次成型していくと立体が作れる(紙を貼り重ねて立体地図を作るのと同じ原理だ)。

 3次元自動造形機を使うと、人手をかけずに模型が出来る。「これは設計の世界を変える! 大革命だ」。山田さんのカンに響くものがあった。

 そして、この3次元光造形機を日本で普及させるために会社を辞め、1990年に「インクス」を設立した。インター・コンピューター・システムズの頭文字をとったものだ。実は山田さんは就職した企業の新入社員研修の時、「俺は社長になる」と公言して変人扱いされたそうだが、その目標が図らずも実現したことになる。