広尾晃の野球ビジネスモデル考察 1〜 4 5 6 最新 空谷事件、柳川事件…ドラフト制度導入以前、まだウサン臭さ残る球界で繰り広げられた仁義なき選手獲得戦争 【連載】広尾晃の野球ビジネスモデル考察(第5回) 2024.10.14(月) 広尾 晃 フォロー フォロー中 スポーツ シェア6 Tweet この写真の記事へ戻る 昨年10月26日に開催されたプロ野球ドラフト会議の様子。中央大の西舘勇陽投手投手の交渉権を獲得し、ガッツポーズの巨人・阿部慎之介監督(右)と日本ハム・新庄剛志監督(写真:共同通信社) 拡大画像表示 1965年11月に開かれた第1回ドラフト会議の模様。抽選くじを引く永江近鉄代表(中央左)と友田国鉄代表(同右)。現在と比べるとかなり地味な印象だ=東京都千代田区の日生会館 拡大画像表示 正力松太郎=1957年4月撮影(写真:共同通信社) 拡大画像表示 パ・リーグ会長も務めた永田雅一東京オリオンズ・オーナー。日頃の大言壮語ぶりから「永田ラッパ」の異名を取った(写真:共同通信社) 拡大画像表示 1957年10月、日本シリーズ第1戦を前に握手する巨人・水原円裕(左)と西鉄・三原脩両監督。この年の日本シリーズは前年に引き続き西鉄が巨人を撃破、三原監督は西鉄の黄金期を築いた(写真:共同通信社) 拡大画像表示