ついに始動?平家打倒に向け源頼朝が企てた計画とは 蛭ヶ小島伝承地に立つ頼朝と政子の像。ただし、挙兵時の頼朝の屋敷は、この場所ではなかった可能性が高い。撮影/西股 総生(以下同) (画像1/4) 鎌倉にある源義朝の屋敷跡。義朝は鎌倉に居を据えて関東の武士たちを従えたものの、平治の乱で敗死すると彼らの多くは平家方になびくようになった。撮影/西股 総生 (画像2/4) 画面中央が蛭ヶ小島伝承地。背後に見える山は戦国時代の韮山城砦群だが、この山の麓のあたりに山木兼隆の屋敷があった。 (画像3/4) (画像4/4) ついに始動?平家打倒に向け源頼朝が企てた計画とは この写真の記事を読む