日本の城を知れば、日本の歴史が見えてくる 大垣城に立つ戸田氏鉄(うじかね)像。撮影/西股 総生 (画像1/9) 写真1:吉田城(愛知県)にて。城へ行くと、こういう説明板を読んで満足してしまう人がいるんだけど、大切なのは後ろにある本物の石垣。彼女は、ちゃんと石垣に注目している。 (画像2/9) 写真2:静岡県・賤機山(しずはたやま)城の坂虎口。マニア的には、美形な坂虎口を集めて「坂虎口46」でもつくってみたい? (画像3/9) 写真3:佐賀城の鯱(しゃち)の門。佐賀の鍋島(なべしま)家は36万石の大藩で、優秀な殿様も輩出したが、外様なので幕政にはノータッチ。そのかわり国力の充実に力を注いで、明治維新の立役者となった。 (画像4/9) 写真4:江戸城の富士見櫓。戦国乱世の最終勝者となった徳川家は、江戸を本拠として全国の大名たちに君臨した。 (画像5/9) 写真5:浜松城は、譜代大名が入れ替わり立ち替わり城主を務めて、老中・若年寄を輩出したので「出世城」と呼ばれた。戦国時代に家康が本拠とした城なので、徳川家の番頭さんクラスが城主を任せられる。 (画像6/9) 写真6:徳川最後の将軍・慶喜は、京都の二条城で将軍となり大政奉還を行ったので、将軍としては江戸城に入っていない。幕末の政局は京都を中心に動いていたのだ。 (画像7/9) 写真7:名古屋城の復元された本丸御殿と天守。尾張・紀伊・水戸の御三家は、徳川の分家。名古屋城の御殿は将軍の上洛に備えた宿泊用で、尾張藩主は二ノ丸御殿に住んでいた。本家の戦略基地を分家に管理させる形である。 (画像8/9) おまけ:城歩きイベントで、空堀の深さを体感するために堀底に寝転がる人たち。一見バカバカしいが、この状態で上からカラーボールを投げられると、討死にする攻め手の気分が味わえる(笑)。こういう体験をしながら城の説明を聞けば、複雑な縄張りの話もすんなり理解できるというもの。百聞は一見にしかず。大切なのは、まず実物に触れて楽しんで、好きになること。 (画像9/9) 日本の城を知れば、日本の歴史が見えてくる この写真の記事を読む