織田信長の築城革命!安土城から始まった近世の城

教養として役立つ「日本の城」(20)
2020.6.2(火) 西股 総生 follow フォロー help フォロー中
生活・趣味歴史
シェア0
このエントリーをはてなブックマークに追加
この写真の記事へ戻る
滋賀県の安土(あづち)城に残る石垣 (撮影/西股 総生、以下クレジットのない写真は同)
写真1:横浜市にある小机(こづくえ)城の空堀。写真に写っているのは谷ではなく、全て人力で掘削された空堀で、幅は20メートルを超える。北条氏が前線基地として築いた城だが、領国が広がるにつれ、この地域を支配する政庁としての性格を強めていった。
写真2:愛知県の清洲(きよす)城に立つ織田信長の銅像。清洲城は『麒麟が来る』にも出てくるよね。信長は、この城から出撃して桶狭間で今川義元を討ち取った。城跡は公園になっているが、残念ながら遺構は残っていない。
写真3:岡山県の備中高松(びっちゅうたかまつ)城。信長の配下だった羽柴秀吉が、水攻めをした城として有名。当時の秀吉は中国方面軍司令官のような立場にあり、この城を攻めながら信長の本隊が出陣するのを待っていた。
写真4:耐火性・耐弾性にすぐれた重量建物を高石垣の上に乗せる方式は、戦国末期における最新式の築城技術だった。信長・秀吉と配下の武将たちは、こうした織豊系城郭を征服地に築いていった。写真は松江城(島根県)。(写真協力/Ogi)
写真5:信長が天下統一の拠点として築いた安土城。写真は天主台の石垣で、この上に5重の壮麗な天主がそびえていたが、本能寺の変の後の混乱で焼失し、廃墟となった。
写真6:石垣山城(神奈川県小田原市)。1590年に秀吉が小田原の北条氏を攻めた際、本営として築いた城。関東では初めての、天守と高石垣を備えた織豊系城郭であった。秀吉はここから包囲された小田原城を見下ろし、伊達政宗ら帰服した諸将に謁見した。
おまけ:大坂城の石垣と復興天守。いま見る石垣は、豊臣氏を滅ぼした徳川幕府が同じ場所に築き直したもので、秀吉時代の大坂城は地中に眠っている。復興天守は、昭和に入ってから建てられた鉄筋コンクリート製で、桃山風の望楼型となっている。徳川時代に造られた石垣や櫓と、桃山風の復興天守だと、デザイン的にミスマッチだと思うんだけど・・・。

ライフ・教養の写真

【パリ五輪】初戦快勝のU-23日本代表、次戦は3月に「完敗」したマリ、勝利へのカギは
【熱狂パリ五輪】誰もが表彰台を狙えるスケボー日本代表、女子は東京金の四十住、男子は小野寺、堀米は逆転で代表に
【熱狂パリ五輪】久しぶりに観戦する人のための「6人制バレーボール」ルールをおさらい
創作集団CLAMPの圧倒的世界を堪能…約800点の原画、没入感ある映像展示、心に刺さる言葉たち
日経平均急落でも「10年後に10万円」になる3つの理由、トランプ相場も日銀利上げも一過性…吉野家牛丼は1500円に
王都、帝国、魔王城… 貴族が治める『葬送のフリーレン』の世界を歴史学者が読み解く

本日の新着

一覧
王都、帝国、魔王城… 貴族が治める『葬送のフリーレン』の世界を歴史学者が読み解く
〝中世ヨーロッパ風〟ファンタジー世界を歴史学者と旅してみたら #2
シンクロナス編集部
横山ノックとゼレンスキー、「面白さ」「その時のノリ」で政治家を選んだ有権者はどんな報いを受けたのか
【舛添直言】揺れる現代民主主義、「政治家の選び方」はこれでいいのか?
舛添 要一
実は学問として存在していない?歴史学者が「古記録学」を学ぶ理由
大河ドラマ「光る君へ」で話題、歴史学者・倉本一宏に聞く、学校では習わない平安時代(2)
倉本 一宏
【パリ五輪】初戦快勝のU-23日本代表、次戦は3月に「完敗」したマリ、勝利へのカギは
神宮寺 慎之介
フォロー機能について

フォロー機能とは、指定した著者の新着記事の通知を受け取れる機能です。
フォローした著者の新着記事があるとヘッダー(ページ上部)のフォロー記事アイコンに赤丸で通知されます。
フォローした著者の一覧はマイページで確認できます。
※フォロー機能は無料会員と有料会員の方のみ使用可能な機能です。


設定方法

記事ページのタイトル下にある「フォローする」アイコンをクリックするとその記事の著者をフォローできます。


確認方法

フォロー中の著者を確認したい場合、ヘッダーのマイページアイコンからマイページを開くことで確認できます。


解除方法

フォローを解除する際は、マイページのフォロー中の著者一覧から「フォロー中」アイコンをクリック、
または解除したい著者の記事を開き、タイトル下にある「フォロー中」アイコンをクリックすることで解除できます。