中川昭一氏(55)が財務大臣としてローマで開かれた主要7カ国財務省・中央銀行総裁会議(G7)後の記者会見(2月14日)で、もうろう、かつしどろもどろの状態を見せて財務相と金融担当相を辞職(2月17日)して2カ月が経つ。
私は昭一氏の父上である中川一郎元農相(故人)と取材を通じて親しくさせてもらった関係もあって昭一氏のことがとても心配になり、彼が入院中、私信を出した。
というのも父一郎氏も酒と睡眠薬を常用していたフシがよくみかけられたからだ。一郎氏は昭和56年秋の自民党総裁選で敗北(4位)してから、うつ状態に近く、翌57年1月9日、札幌パークホテル10階の部屋で、もうろうとなった末に首吊り状態で死んでいたということだ。
なぜ、もうろうとなったという表現を使ったかといえば、一郎氏はホテルでの札幌地区の後援会の新年会で酒を呑み、部屋に戻ってからラーメンを食べたりしながらまたウイスキーを呑み、かつ翌日に備えて睡眠薬を飲んだといわれる。
酒と睡眠薬はこの日に限らず年中行事だった。激務からくる疲労、それを紛らわす酒そして朝早くから入っている日程のためやむをえず飲む睡眠薬。私が「身体によくないから睡眠薬は飲まないようにすべきではないのか」とある夜訊いたことがあったが一郎氏は怒るように「飲まなきゃ明日何も出来ないよ。仕方ないだろう」と言い放った。
酒を呑んだ上に睡眠薬を飲むと薬の効果は倍以上になるといわれている。それが毎日に近くなれば、それ自体の行為が新たな疲労を生み出す。午後あたりになると眠気がさして何もかも放り出したくなる、つまり、もうろうとした状態になる。その時、30分でもよいから眠ると、体調は元へ戻るのだが、それが許されない状況が多い。
私は昭一氏のもうろう会見が報じられた時に、なぜ囲りの者が記者会見出席を止めなかったか。とりあえず1時間位、休息をとらせた上で改めて財務省だけの会見をなぜ設定しなかったのか。
会議にも出席した財務省の局長級の幹部がいたのだから白川日銀総裁とともに会見に出てカバーし、その席で「大臣は会議が終わって疲労困憑のため一時休んでもらっており、少し後に単独で会見する」となぜ言えなかったのか。などなど疑問に感じた。