なぜ今も薬の街であり続けているのか

少彦名神社 写真/tomasan/イメージマート

 では、実際にお参りに行ってみよう。鳥居の脇には「神農さん 少彦名神社」という文字が彫られた石柱と虎の像があり、この神社の歴史を物語っている。鳥居をくぐると通路の脇に「少彦名に護られた家庭薬」という看板があり、下の棚に、正露丸、改源、龍角散、浅田飴、Vロートなどお馴染みの医薬品が並んでいる。田辺三菱製薬、塩野義製薬、武田薬品工業、カイゲンファーマなど、日本を代表する多くの製薬会社の本社が、現在もこの神社のある道修町周辺に社屋を構えているためだ。

 細長い境内のもっとも奥まったところに社殿がある。祭神は前述のとおり、少彦名命と炎帝神農。少彦名命は医薬だけでなく、まじない・温泉・酒造の神など多彩な能力を持つ神。炎帝神農は古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人で、人々に医療と農耕の術を教えたといわれている。中国、日本の医薬神が合体した結果、この神社は日本医薬の総鎮守となり、病気平癒、健康成就のご利益を持つとされ、現在に至るまで多くの人々の信仰を集めている。

 社殿の内部には、大きな張り子の虎も祀られている。そして江戸時代にコレラの薬とともに配布されたという小さな張り子の虎が、現在も縁起物として授与されている。お守り袋などにも虎の模様がデザインされているので、無病息災のお守りとしてぜひ受けて帰りたい。

少彦名神社の巨大な虎の張り子 写真/nomo / PIXTA(ピクスタ)

 お参りを終えたら、鳥居の隣にある「くすりの道修町資料館」も見学したい。こちらの展示を見ると、道修町がどのようにして薬の街となって発展し、なぜ今も薬の街であり続けているのかがわかる。

 江戸時代、このあたりには、幕府公認の「道修町薬種中買仲間」という株仲間(同業組合)があった。和漢薬の原料である薬種を特権的に扱うその株仲間は、長崎を通じて輸入される外国産の薬や和薬も一手に取り扱い、全国に供給していた。明治になると、時代の流れによって多くの株仲間が解散を余儀なくされたが、道修町薬種中買仲間は、近代的な組合組織にうまく移行できたため、その後も存続したのだという。

 この神社がある道修町通りは、道修町ミュージアムストリートとも呼ばれ、300mほどの道沿いにいくつかの薬に関する小さな博物館が並んでいる。とりわけ、大通りを挟んだ向かい側にある旧小西家住宅史料館が見どころだ。ビルが建ち並ぶ船場エリアでは貴重な和風建築の商家で、重要文化財にも指定されている。

旧小西家住宅史料館 写真/kei / PIXTA(ピクスタ)

 明治3年に開業した小西屋の住居兼社屋として建てられたもので、テレビドラマのロケにも使われる存在感たっぷりの建物だ。小西屋はその後旧小西儀助商店と名を変え、現在はコニシ株式会社という社名になっている。黄色いボトルでおなじみの木工用ボンドを扱うあの会社だ。

 この小西屋も、もともとは薬種問屋として開業したが、「進取の精神」でアルコールや洋酒、化学製品などの製造に取り組んできた。そして今では合成接着剤「ボンド」の会社として知られるようになったのだという。この建物は空襲や震災もくぐりぬけ、堂々たるその姿を今に伝えている。事前に公式サイトから予約をすれば、住居部分や数々の展示品などを見学できる。

 再開発で変わりゆく大阪にも、まだまだこんな歴史を感じるエリアがいくつも残っている。そしてその中心には由緒ある寺社がある。関西の寺社と言えば京都や奈良と思う人が多いだろうが、実は大阪も負けてはいないのだ。今後も大阪の街を丹念に歩いて、面白い神社とそれを巡る地域の歴史を探訪してみようと思う。