少彦名神社 写真/でじたるらぶ / PIXTA(ピクスタ)
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(吉田さらさ・ライター)

どこから来たのかわからない謎めいた神

 昨年大阪・関西万博に出かけた折に、大阪の街を歩き回ってみた。あちこちで再開発が行われ、別の街のように変貌した場所が多かったが、その一方で、変わらぬ街並みの中に古くから信仰を集める寺社が点在しているのも興味深かった。今回は、その中でももっとも印象に残った少彦名(すくなひこな)神社を紹介しよう。

 この神社は大阪府中央区道修町(どしょうまち)に鎮座している。周辺は船場と呼ばれるエリアで、江戸時代から続く商業の中心地。現在も大阪経済の要として君臨し、多くの会社が立ち並んでいる。そんな街のビルの谷間に、小さな鳥居がひっそりと佇んでいる。うっかりすると見落としそうだが、実はこの神社は大阪の商業に関わる奥深い歴史を持ち、ご利益も絶大なのである。

 まずは祭神の少彦名命について知っておこう。神話の中の登場回数は多くないが、『古事記』によれば神産巣日神の子とされ、役割は重要である。ある日、国造りを始めようとする大国主命の前に、小さな神が現れた。蛾の皮でできた衣を身にまとい、ガガイモの皮の船に乗る不思議な姿だ。その神は名を尋ねても答えなかったが、やがて大国主命の義兄弟のようになった。以降、二柱の神は助け合って国造りを進めたが、目標半ばにして、少彦名命は突然「常世の国」に行ってしまった。

 大国主命が、自分ひとりでこの先どうすればいいのかと嘆くと、海の向こうから光輝く大きな神があらわれ、「自分を倭の青垣の東の山の上に祀れ」と言った。この言葉通りにすると、大国主は国造りをまっとうすることができた。この大きな神は大物主神で、祀られたのは奈良県桜井市の三輪山、その山の麓にあるのが日本最古の神社として知られる大神神社である。

 この話の中での少彦名命はどこから来たのかわからない謎めいた神だが、こちらの神社では、主に「薬の神様」として信仰されている。それには理由が二つある。ひとつは、日本神話において、この神がもともと医薬の祖神として描かれていることだ。古事記にはそれに関するはっきりとした記述はないが、日本書紀には、より具体的に「病を治す方法(まじない、薬など)」を人々に与えたとの描写がある。常世の国から来た神と想定されることから、永遠の命を象徴する存在と考えられているのだ。

 もうひとつの理由は、この場所にはもともと中国伝来の医薬の神である炎帝神農が祀られており、そこに少彦名命も祀られたという経緯からだ。このあたりには豊臣秀吉の時代から薬問屋が集まっており、当時より、炎帝神農が祀られていた。その後、安永9(1780)年に京都の五條天神より少彦名命の分霊を受けて、ここに合祀された。それによってこの神社は最強の医薬の祖神として信仰されるようになった。

 江戸時代末期の文政5年(1822)には、大坂の街で恐ろしい感染症「虎狼痢(コロリ)」が大流行した。激しい下痢と嘔吐を繰り返してあっという間に死に至る疫病、つまりコレラである。その際、虎の頭骨などの和漢薬を配合した「虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさっきうおうえん)」という薬が作られ、この神社では、その薬とともに「張り子の虎」が配布された。それ以来、張り子の虎は、疾病退散だけでなく家内安全無病息災のお守りとして全国に広まった。