杉は自身の寄付行為を30年以上、「隠れキリシタンのように」隠していたそうだ。なぜなら、「バレたら大変なんですよ。いいことをしていると大変なんですよ。何をやっても反対する人は反対するから」と説明し、「でも、私が寄付をした自治体が発表したんですよ。それからは、開き直ってやっています」といっている。
もうそんな決まり文句の批判は聞き飽きましたよ、というようにね。
マスコミで杉良太郎の「ながし目」と騒がれ、人気が沸騰したが、かれが偉いのは、その人気に溺れなかったことだね。できないよ、普通。
『生涯献身』の中ではこんなふうに語っている。「人気は恐ろしいもので、人気があるゆえに通らないものも通る。できないことでもできる。ちやほやされてきた人は、これに慣れると『人気病』になる。なおらない病気だ。私は人間として生まれてきて、この病気にだけはなりたくない」と。
客:いや、こういうことはあるよ。
そして、周りからちやほやされると、たいていの人間は勘違いして、鼻持ちならない傲慢な人間になるんだよ。
主人:杉良太郎を見ていると、だれもかれもが簡単にバカの穴に陥っていくなかで、最後に残った「人間の誇り」という気がするよ。しかしさらに考えると、それ以上に「日本人の誇り」だといいたくなるな。
訪日外国人たちのYouTubeを見て、最近よくこういうことを考えるんだ。
日本人は個々に見ると当然、バカはいっぱいいるけど、民族全体として見ると、日本人はもしかしたら「奇跡的な民族」じゃないのかと。
静かで、礼儀正しく、謙虚。知的で、思いやりがあって、恥意識を知る。こういう民族精神があるのは、世界で日本人だけじゃないのか。
おれたちは自分たちでは気付いていないが、江戸時代以来、子どもの頃から、謙虚、我慢、礼儀、配慮、恥、孝行、克己、利他、順法などを日々、教えられて育った。鎖国がまた、日本人のDNAの純粋培養や、日本的美の洗練・涵養のためによかったんだ。
杉良太郎は現代の日本人を批判している。役者や芸人の程度の低さを嘆いているし、政治家に対しても「人に対しての思いやりもなく、ひたすら自分のために生きる人」と痛烈に批判している。
それでもそんな日本人のなかから、杉良太郎は生まれてるんだよ。
アフガニスタンの医療や灌漑のために献身した中村哲医師、世界の難民救済に尽力した緒方貞子国連難民高等弁務官、また経営哲学の根本に無私と献身を据えた稲盛和夫という人たちも生まれたんだ。
もっというと、大谷翔平も育った。
かれらを見ていると、やはり「日本人」だからそういう人間になったのだ、といいたくなるよ。
客:意外だな、テレビやYouTubeの手放しの日本礼賛番組が嫌いなきみが、そういうことをいうとは。でもまあ、一理はありそうかな。