米国ほどではないが、日本でも民族保守とリベラルの分断が進みつつある(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 本稿の結論は、「対立する状況でバランスを取り中庸の決着を目指すと、最終的に不満の残った両側から決定者が恨まれる」という話です。

 一番卑近なものは、社会保障論における西村博之(ひろゆき)さんの数々の言説であり、「公金チューチュー」と命名された暇空茜さんとColabo問題なども典型です。その大概において、マイノリティに対する考え方や抑圧された立場への配慮、社会的弱者のありようなどといった問題は賛否両論にあり、よく燃えるがゆえに、自身の利益のために分断を促す煽動者がしばしば現れます。

【参考記事】
派手に燃え上がっているColabo「不当」会計疑惑住民監査請求のゆくえ

 仮に社会に2%ぐらい弱者がいたとして、自分の責任ではないにもかかわらず、何かの問題に巻き込まれた結果として弱者になってしまう可能性がある、それゆえに、そのような弱者は2%というわずかな数であっても、社会は弱者が差別されないよう配慮しましょう、というのが社会保障の考え方です。

 今日の社会保障のもとになっているのは、1601年、イギリスのエリザベス1世の治世時に制定された貧民救済の制度。それが発展して今日の社会保障論になっていることを思えば、イギリスの貧民救済制度を抜きに現代社会保障を語ることはできません。

 貧民の救済は教会勢力によって行われてきましたが、宗教改革が波及した結果、カルヴァン派は「働きたくない者は食べてはならない(新約聖書「テサロニケの信徒への手紙二」 3章10節)」と主張し、無原則な救貧活動を批判しました。いまで言う勤労精神と、ある種の新自由主義にも通じる政治思想です。

 エリザベス1世の治世で貧民救済制度が制定されたのは、教会勢力が後退し、このような「貧しさは怠惰の故である」という志向へと社会が変化する中、その副作用としての貧民層の増大と、その困窮が大きな問題になったからです。

 のちの産業革命でも、資本家が巨万の富を得る一方、児童労働や長時間労働、炭鉱労働における健康被害などで多くの労働者が命を落としました。現代でも、この社会保障と公衆安全・衛生は政治が一丁目一番地で担うべき領域ですが、社会保障全般が宗教活動による貧困救済から宗教改革を経て、政治の課題にシフトしたという流れを理解する必要があります。

救貧法を制定したエリザベス1世(National Portrait Gallery, Public domain, via Wikimedia Commons)