(池田 信夫:経済学者、アゴラ研究所代表取締役所長)
イギリスが株安・債券安・ポンド安の「トリプル安」に陥っている。そのきっかけは、9月23日に発表されたリズ・トラス政権の経済対策だった。これはエネルギー危機対策として価格統制を行うと同時に「過去50年で最大の減税」を行うものだ。
財政支出は、5年間で1610億ポンド(約25.5兆円)にのぼるが、財源はすべて国債で調達する。このため財政悪化を警戒して長期金利が5パーセントに上がり、株価が下がり、ポンドは対ドル最安値を更新した。
「大きな政府」がインフレを招く
この経済対策の原因は、イギリスで急速にエネルギー価格が上がっていることだ。このためトラス政権は電気やガスの料金を凍結し、それによる企業の損失を政府が補填する。その補助金で財政赤字になるが、財源は示さない。
450億ポンドの減税でミニバジェット(小さな予算)を実現し、財政赤字はすべて国債でまかなう。大減税によって「中期的に成長で財源をまかなう」という。
トラスはマーガレット・サッチャー元首相を尊敬し、「小さな政府」で民間活力を高めることでイギリス経済は成長できると信じているが、今回の経済対策はサッチャーの政策とは逆である。
1970年代のイギリスでは、10%を超えるインフレが続いていた。この原因は労働党政権の放漫財政による財政赤字だと考えたサッチャーは、1979年に首相になると社会保障を削減し、公営企業の民営化を進めた。同時に公定歩合を17パーセントに上げ、インフレを抑制した。
この緊縮財政で失業率は10%を超え、サッチャー政権は危機に陥ったが、1982年のフォークランド紛争で支持率を回復した。彼女の政策は、およそバラマキ財政の対極だったのだ。
ところがトラス首相はサッチャーの政策をつまみ食いし、財源はすべて国債で調達する。これはMMT(現代貨幣理論)の実験である。トラス政権は公式にはそれを認めていないが、MMTの教祖、ステファニー・ケルトンはこれを「正統派の財政政策からの脱却」だと歓迎している。