起業、独立、複業など「自分軸」に沿った働き方を選択することで、より理想にフィットした生き方を手に入れようとした女性たちの等身大のストーリーを追う「INDEPENDENT WOMEN!」
 第11回は、不妊ピア・カウンセラーの池田麻里奈さん。不妊治療の間に経験した2度の流産と死産、そして子宮腺筋症から子宮全摘後、養子縁組を決意するまでの約15年間。“自分らしく働くこと”を諦めていた30代から、“自分らしく生きること”を見つけた現在に至るまでの軌跡を追う前編。

文=吉田彰子 写真=大森忠明
池田麻里奈さん
不妊カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。不妊治療の悩みや、流産・死産のグリーフケア、養子縁組についてのカウセリングを行うほか、大学などで講演活動を行っている。著書に『産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ』(KADOKAWA)

子どものときからずっと抱いていた夢は「お母さん」

 海と山に囲まれた自然豊かな地・鎌倉で、3歳の男の子の子育てに奮闘しながら、不妊カウンセラーとしてカウンセリング室を主宰している池田麻里奈さん。「成長を見るのが好きなんですよね」と話す池田さんの自宅には、毎日手入れされた樹木が悠々と育っている。

「子どもの頃からの夢は、お母さん。子どもが困ったときに、そっと隣にいてあげるような優しいお母さんになることがずっと夢でした。両親が離婚していて、父子家庭の不便な生活もありましたが、父のように子どもに愛情を注いで育てたい、という理想が常に心の中にありましたね」

 社会に出てからは、ずっと経理の仕事をしてきた池田さん。28歳のとき、結婚を機に一旦は退職するものの、3カ月後には出版社の派遣社員として働き始める。

「その会社は妊婦さんやママ向けの赤ちゃん雑誌を作っていて、そこで編集アシスタントとして働き始めました。物作りの仕事は初めてだったので、その面白さにのめりこんでいきましたね。いつかはママになって私も読者に、そんな気持ちでいました」

「経理の仕事から編集の現場へのキャリアチェンジもとても楽しかった」と振り返る池田さん。

キャリアアップにブレーキをかけた不妊治療

 編集アシスタントの仕事が終わるのは時には深夜0時まで及ぶこともあったが、それでも楽しさの方が優っていた。一方、プライベートでは、誰にも言えない悩みを抱えていた。

「30歳で不妊治療を始めました。フルタイムで勤務していたので、病院行くためにこっそり職場を抜け出したりして。仕事は本当に面白く、もっとやりたい!という気持ちがあったのですが、不妊治療がその気持ちにブレーキをかけました」

「もしも大事な撮影の日と体外受精の日が重なってしまったら・・・」不妊治療では、1週間先のスケジュールですら立てにくい。キャリアアップをしたくても、積極的になれないジレンマがそこにはあった。

「周囲にはたくさんのワーママがいました。出産してママになって、そして仕事も立派にやって・・・。一方私は、仕事も全力でできない、子どももいない。『普通に妊娠さえできれば、こんな悩まなくても済むのに』と、中途半端な自分が次第にイヤになっていきました」

 不妊治療と仕事のスケジュールを調整するだけでなく、「いつ妊娠するか分からない」不安な気持ちも仕事へのブレーキになった、と振り返る。

「来月に妊娠できるかもしれないし、5年後かもしれない。もしそれがあらかじめ分かるのであれば、“○歳までは仕事に邁進しよう!”と思えるのですが・・・。見えない時間にもどかしさがありました。またその時、末期がんを患っていた父のために“なんとか孫の顔を見せないと”という焦りも同時に抱えていました」

カウンセリングでは、ルイボスティーのお茶を飲みながら行うのが池田さん流。