放送作家はマネーの達人!?

 テレビ、ラジオ、動画配信も含めてあらゆる番組の脚本・台本を書いている放送作家が700人以上集結する日本放送作家協会がお送りするリレーエッセイ。ヒット番組を書きまくっている売れっ子作家、放送業界の歩く生き字引のような重鎮作家、今後の活躍が期待される新人作家と顔ぶれも多彩、得意ジャンルもドラマ、ドキュメンタリー、情報、バラエティ、お笑いなどなど多様性に富んで、放送媒体に留まらず、映画、演劇、小説、作詞……と活躍のフィールドも果てしなく!
 それだけに、同じ職業とは思えないマネーライフも十人十色! ただ、崖っぷちから這い上がる力は、共通してタダもんじゃないぞと。この生きにくい受難の時代にひょうひょうと生き抜く放送作家たちの処世術は、きっとみなさんのお役に立つかも~!
 連載第6回は、『99人の壁』『水曜日のダウンタウン』など人気番組を多数手掛ける放送作家の矢野了平さん。

貧乏生活に差した希望の光……

矢野了平矢野了平
放送作家、日本放送作家協会会員

 放送作家としてクイズ番組の作り手になる前、学生時代の私は絵に描いたような「クイズマニア」だった。高校ではクイズ研究会を立ち上げ、大学ではバイトをしているかクイズをしているかという日々。

 なぜそこまでクイズにのめり込んだのか。その理由は当然「クイズが面白いから」なのだが、きっかけは大変やましいものだった。ズバリ「賞金目当て」。目的だけなら西部開拓時代の早撃ちガンマンと同じだ。とにかく金が欲しい。

 母子家庭に育ち、バブルの好景気を微塵も感じない幼少期を過ごしていた自分は、小学校高学年あたりから金銭面の不都合を抱え始めた。視力が落ちたのにメガネが買えない。友達と遊びに出かけたいのに自転車がない。ちょうど吉幾三が「俺ら東京さ行ぐだ」を歌っていた頃だったが、ボクは埼玉の中ではそこそこ都会の大宮でないない尽くしの生活を送っていたのだ。

 そんな自分にとっての希望の光。わずかに差し込んだバブルの恩恵。それが「ラジオのクイズコーナー」だった。ニッポン放送は伊集院光、文化放送はキッチュ(松尾貴史)、TBSは岸谷五朗、中高生ターゲットの番組には必ずクイズコーナーがあった。
そして賞金がとても良かった。『伊集院光のOH!デカナイト』のベースボールクイズなら最大45000円。『キッチュの夜マゲドンの奇蹟』なら10日勝ち抜きで10万円+ヨーロッパ旅行。

 私は賞金を稼ぐためにクイズの勉強を始め、出演権を得るために面白くハガキを書き、電話オーディションを突破するためにキャラクター磨きも忘れなかった。高校の部室でボヤ騒ぎがあった時は大勢が心配をする中、「やった!これをネタに応募できる」とガッツポーズをしたほどだ。

 結果、すごく稼いだ。中高の6年間でラジオのクイズコーナーに出まくり、生活必需品はほぼ賞金で揃えた。高2でハワイ旅行をGETしたときは、人生初のパスポートを取得するための手数料も賞金で賄った。そして大学の受験料もクイズの賞金から支払った。

 大学生になると出演できるラジオ番組も減り、賞金が獲得できたのは「アタック25」での優勝と「クイズ$ミリオネア」での10万円くらい。賞金目当ての早押しガンマンとして大暴れする機会はほぼなかったが、代わって「クイズ番組の問題を作るアルバイト」が入ってくるようになった。毎週30問提出して5000円。採用されたら1問につき1500円。採用率が高ければさらにボーナス。そしてこの問題の提出先が僕の勤め先となり、今に至る。

ラジオラジオのクイズコーナーの賞金で、中高6年間の生活必需品を揃えた。

「お金が欲しい」という原動力

 あれから30年。クイズ番組の賞金事情は大きく変わり、視聴者が参加して寂しい懐を潤すことができる機会もすっかりなくなってしまいました。100万円がもらえるチャンスといえばお金持ちのツイートくらい。

 そんな時代に自分の過去を振り返って、あの当時「賞金が欲しい」という欲求を露わにして良かったと思うのです。賞金の存在が大きな原動力となってクイズに目覚め、クイズという生き甲斐を見つけることができました。のちにそれが仕事となって飯が食えるようになったのですが、賞金目当てからプロになったというより、賞金目当てからクイズが好きになって夢中になれたからプロになれた、という感覚です。

 例えば、お金欲しさにメルカリに出品することで写真撮影の腕が上がったり、紹介文の技術を磨いたり。お金欲しさにYouTuberになって企画を考えたり、編集技術を身につけたり。子どもがお小遣い欲しさにお手伝いを頑張っちゃうような気持ちを大人だって持っていいんじゃないかと。フラットな状態から「生きがい」や「やりがいのあること」を見つけるのはとても難しいですが、「お金になるならやってみようか」というキッカケから新たな発見をすることは悪くないと思うのです。

 そしてもう一つ。私の今後について。クイズに育ててもらった自分の「仕事」として、メガネや自転車が買えない中高生が望みを託して出場できるクイズ番組を作らなければと思っています。今ならYouTubeなのか、今こそラジオなのか、わかりませんが。

 次回は脚本家の北阪昌人さんへ、バトンタッチ!

 一般社団法人 日本放送作家協会
 放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイズ」などさまざまな事業の運営を担う。